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お看取りに関してたくさんのご経験談のコメントありがとうございます。大変学びとなりますし、ご覧の皆さんにとってもそうだと存じます。ぜひご体験談などありましたら、コメント遠慮なくお寄せ下さい。よろしくお願い申し上げます。
65'?2222,
何度も すみません😢⤵️⤵️是非とも大学での先生方様一度取り上げて…頂きたく思っております。私達身内は、痛み和らげる点滴注射💉10日前から!打たれて…最後胸肺がん駄目との話し でももう脳迄既に!本人目👀飛び出し痙攣した状態でした。もう少し最後迄脳の検査も一度して欲しかった!先生方様の話しは、余命1ヶ月との話しだけ!丸3日間苦しみ家族身内は、あの苦しみ忘れる事が…出来ません。亡くなる一時間近くでの院長先生のお話し通り意識無く少し本人楽になり涙😢流し亡くなりました。癌の死の怖さに…忘れる事無いです😭初めて知りました。両親二人又若くして友達も何人かしら最後迄死に…直面致しましたけど…やはり娘婿の最後の様な事無かったです。
私の妻が65歳で2019年12月すい臓がん初期1Aで発見、3ヶ月抗癌剤経口投与、3ヶ月後手術、2020年11月肝転移、2021年1月抗癌剤が無いと告げられる。以後免疫療法と遺伝子療法しかないと説明、お願いしている最中、大腸がん抗癌剤を進められ投与されるがうまく進まないまま、4月に入り吐気が強く出るようになる。痛みはそれ程無いようであった。亡くなるまで痛いと言わなかった。4月終わり頃より体力も落ちて食事も2口位しか食べれなくなった。自力で歩くのも困難になってきた。5月に入り殆ど歩けなくなり、トイレも夫が何とか連れて行くようになった。5月8日頃より一口しか食べれなくなり‼️それも吐いてしまう様になった。水も吐いてしまう。5月11日~13日ガンセンターにて点滴を受ける。が、栄養剤は打てないと言われ水分補給のみ。13日最期が近いので入院を進められる。が、コロナの関係もあり自宅で看ることにした。直ぐに訪問医や看護をお願いして看て貰う。そのときは既に寝たきりになってしまっていた。オシッコはドレーンを入れて貰う。本人に痛いと聞いても大丈夫だと小さな声で言うだけであったが、訪問医師がパッチ式の痛み止めと舌下錠を出してくれた。通院病院で出してあるのは効かないと言っていた。殆ど口を開かなくなっていたが、14日の昼間、か細い声でお父さん子供たちを呼んでと言うので、家族そろってベットぎわに行くと、一人一人に本当にか細い声でお父さん今まで有難うね。長男の名前を言い同じ様に今まで有難う。長女の名前を言い今まで有難う。と発したのが最後の言葉であった。実は妻のお父さんも87歳で亡くなる1日前に同じ様な行動をしていたことにビックリした。以後痛み止めが効いているせいか安らかな昏睡状態であった。15日にいきなり目を大きく開き上目づかいでまばたきも全くしなかった。直ぐに訪問医師に来て貰い今日明日ですと告げられる。治療は何もない。腹水がたまり苦しそうであったので一時でも楽になれば抜いて欲しいと頼んだが先生は抜かない方が良いと言われた。本人は痛いとか苦しいとか何も発しない。又そのまま昏睡状態になってしまったので、親戚や友達を最後の別れと思い呼んで本人に話し掛けてもらった。寝たきなのに友達が呼び掛けるといきなり起き上がろうとしたので夫が後ろに回っておこしてあげていたら、家族が呼び掛けても反応しなかったのが、友達が呼びかけた途端に目を大きくひらきまばたきもしないで、聞こえているのかいないのか分からないが友達をジーと見つめていた。友達が又くるから元気になるんだよと言い、席を離れた途端、左目から涙が溢れた。聞こえて居たんだと思い家族で又話し掛けたがそのまま又昏睡状態で寝込んでしまった。16日訪問看護に来て貰い身の回りを綺麗にして貰う。がやはり応答する意識はない。午後22時過ぎに突然ウーと言い起き上がった。直ぐに支えて、痛そうに口を開けて息が荒くなってきた。うめき声を出すので訪問医師に連絡したら痛み止めを数枚貼ってと指示されたが、強い痛み止めなのでそのまま息が止まる場合があるので家族同意でとお願いしますと説明された。訪問看護に連絡したら直ぐに伺いますと言われ、舌下錠を舐めさて下さいと指示されたので舌の下に入れようとしたら口の中がからからに乾いていたので訪問看護に再度連絡したら粉して水でといて綿棒で塗ってと指示されたが、痛みは止まらなかった。訪問医師も訪問看護も来ないまま23時10分頃、起き上がって天井を目開きしたまま見つめてウーとうなっていたが、大きく息を一回吸った途端にウッと言いそのまま逝ってしまった。その間は家族で呼び掛けていたが駄目だった。その様な流れでした。
@@眞田賢一-w1h有難うございました🙇凄いお話し聞かせて頂きました🙇そして最後迄奥様の介護との向き合い死を、見取りされて…本当に気持ちが…わかります。でも最後奥様ご主人様に…面倒見て貰えて…感謝されたか😊私も父親が…食道癌での自宅の3年見取りして 又大事友達肺がんでの死を、自分の母親死又若くして娘婿亡くし。癌の怖さ治療方針など色々違い有る様に思います。人間誰しも…あの世に…辛いですね。娘婿亡くし。三回忌法要法事終わり未だに娘が…立ち止まり前向き進めずに居る姿に…私も何も出来ない✨今では、遠くから…見守っております。ふとした言葉での!きっかけで絶縁状態です。娘の気持ちも痛いほどわかります…いつか!又分かち合う日が、来るかな⁉️待つ事に致してます。貴重お話し聞かせて頂き感謝です🙇有難うございました🙇何卒奥様の分までお身体に…気を付けて頑張って下さいませ。
先生💕暑い一日お疲れ様です🌴🌴🍀今回も7つのまとめと見易いテロップで助かりました🤙🍀そうですね〜私の様に高齢者になると、実家の祖父母、両親、主人の両親も見送りました🙏🌸先生のご説明の通りでした。拝見していて、色々な事が思い出されてて涙が止まらず💧今に至りました。以前、先生のご投稿を拝見しておりましたが、このように解りやすいお話、有難かったです。万が一の時に出来る事なら先生の病院に入院して旅立てたら、どんなに幸せだろうとも思っています🍀良い機会ですので、後日に子供達にも拝見させていただきます🌸先程は4回目のワクチン接種のお話を再度確認致しました💕✨その後の情報などありましたら宜しくお願いします。私の周りの友人達からもチラホラと接種済みの話を聞く今日この頃です。筑西市も38度、39度.酷暑の毎日です😵♨️体力をつけ引き続き感染防止に努めます🍀先生もくれぐれもご自愛下さいませ❤️🙏❤️
父を最期看取りました。苦しそうな呼吸の頃呼ばれました。意識の無い父に泣きながら「ありがとう」と伝えていると、一瞬目が開き意識が戻りました。私だとわかり、壁に飾っている家族写真に目がゆっくりと向き、すると涙が父の瞼にあふれていました。やがてすぐ意識がまた無くなり次第に呼吸がゆっくりになっていきました。父の最後の涙を一生忘れられません。
お父様のお話、ありがとうございます。印象的なお話です。
😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮ささそせ😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮
良いお話を、あ・り・が・と・うございます🙇
私も昨年春父を看取りました。私は母や弟にありがとうと伝えるよう声をかけました。弟と母が父の手を握りありがとうを繰り返し、私は身体をさすっていました。亡くなる少し前父からひとすじの涙が流れ、次第に呼吸がゆっくりとなり、静かに息を引き取りました。穏やかな見送りが出来、安堵感を感じました。享年87歳、良い人生だった、と確信します。
ありがとうございます!!。感動しました!
動画を拝見しました。今年、父方母方ともに祖母を見送りました。父方の祖母は同居していた為、孫の私は近寄りがたい祖母でしたが…家で最後を迎えました。この動画で数ヶ月前からの兆候にも納得しました。大変だった時に拝見出来れば良かったです。母方の祖母も肺炎で入院し、3ヶ月後に他界しました。コロナ禍で面会に行きたかったですが、病院指定の曜日や時間に仕事を休めず…最後は呼吸不全でしたので、頑張っている祖母へ「大丈夫よ。」と肩をさする事が精一杯でした。先生の動画や祖母たちの体験を忘れず、両親や自分達が今後前向きにとらえられるように考えていきたいです。
医師がこれだけ専門用語や余計な『あの、えーっと、その』等の言葉を使わずに、しっかりと要件を的確、簡潔に伝えるのをER以外で見たことがない。如何に患者さん親族らと向き合い、ゆっくり丁寧に説明と対処してきたのか、経験の積み重ねの多さが伝わった。【先生へ】日々のご研鑽と苦悩、本当に素晴らしいと思います。根治治療や処方だけが治療、医療ではなく、最期まで患者を支える。それも治療であり命を預かる医療なのを話を聞かせて下さってありがとうございます。
父は最期を緩和ケア病棟でお世話になったのですが、医師がひとりしかおらずたまたま最期の日の前日が医師のお休みの日にあたり医師不在のため尿が貯まって苦しんでいるのになかなか導尿をしてもらえず私から看護師さんに訴えてやっと他の科の先生に導尿をしてもらえました日本はまだ緩和ケアをして下さる医師が本当に少ないんだということを初めて知りました病気を治すことも大切ですが痛みをとり安らかな死を迎えることができるかどうかは患者の不安をどれほど和らげるかとても大切です緩和ケアを目指す医師が増えることを心から望みます
お父様のお話、ありがとうございます。ますますの普及に尽力したいです。
😊@@kanwa
三年程前に妻を看取りました。緩和ケアの看護師さんから後一週間くらいですと告げられ、職場を休み最期まで側に居る事が出来ました。彼女自身も看護婦であったので全てを受け入れた上で、闘病生活を続けました。痛み止めの薬も自らの意識がわからなくなるのが辛いらしく、痛みに耐えながら義母と私に接してくれました。また、トイレの介助だけは最期まで受けない姿勢に彼女の意地を感じました。最期は座椅子に座らせた彼女を私がトイレの前に運び、そこから自力で便座へ…最期の時は私の腕の中で、『ありがとう』とかすかに唇を動かせて涙が頬をつたったのを鮮明に覚えています。例外的なのかも知れませんが、すごく救われた気がしました。すべての医療スタッフの方々に大変感謝しております。これからもお身体に気を付けて頑張って下さい。
貴重なお話をありがとうございました。私は最愛の母を病室で看取りました。呼吸困難で力尽きるまで苦しみ続けた姿を今も忘れられないです。緩和ケアというお仕事は誰にでもできるものではないと思います。頭の下がる思いです。私もいつか必ず迎える人生の最後まで、与えられ時間を大事に感謝と共に精一杯生きようと思います。ありがとうございました。
お話、ありがとうございます。見守る側からすると苦しむ姿は大変つらいことと拝察します。一方で、その場に居合わせられたということは、最もつらい時間帯にお傍にあったということであり、それは逝く人にとって支えとなっていたのではないかとも思います。苦しい時に、娘さんの存在を感じたということは心強いものであったのではないかと存じます。
@@kanwa 心に染み渡るお言葉、ありがとうございました。母の最後に感謝1つ伝えられず、自分の力不足の後悔やらこの11年ずっと心に残ってたので、先生のお言葉に号泣してしまいました。いただいたメッセージは大切に保管して時より読み返し、母を忍びたいと思います。嬉しくて心が温まりました。感謝します。本当にありがとうございました。
私の両親は病院で最期を迎えました。入院中は毎日見舞いに行っていました。父は亡くなる前日、母は当日、口が動いても声が出ず、口の動きを見て何とか理解しようとしましたがわかりませんでした。なので笑顔でうんうんとうなずいて、聞こえているフリをしていました。何とか伝えようと口をゆっくり大きく動かしている親を目の前にしながら、理解できなかったことが残念でなりません。血圧を表示しているモニターのブザーが鳴って、看護師さんが駆け込んできた後、よくがんばったねと話しかけた声が、親に届いていればせめてもの救いです。
お話、ありがとうございます。届いてくれたのではないでしょうか。
私も父の最後を病室で看取りました。病院の先生から 「最期が近いですから皆さんお声がけしてあげてください」と言われ、皆で順番にそばに行って声かけてたのですが 私が「お父ちゃん ありがとう・・」といいましたら 父の両目から涙がスーとひとすじ流れました。苦労多い父の人生の中で、私は10代の頃にとても心配かけたりしてました(最後の時は もう30代で結婚しており、子供も2人おりました) 偶然なのかもしれませんが きっと聞こえていたと思います。大好きな父でした、今でもこうして思い出すと涙が出そうになります。
お話ありがとうございます。聞こえていたと思いますね。
この春、母を看取りました。100才でした。ギリギリまで意識があり、まるでこちらの看取りを見守ってくれているかのようでした。最期の最期まで母の確かな生き方にお世話になってしまいました。感謝で締め括る事ができた看取り、という尊い時間に言葉にない光を感じます✨
ありがとうございます、とても参考になりました!母は92さいで頑張ってます。
私も以前に緩和ケアの担当をやっていて、現在は老人ホームで働いています。動画の説明は癌の方の看取りですが、老衰の看取りはだいぶ違います。老衰の場合は経口摂取、水分摂取の減少が最初に来ます。次に睡眠時間が徐々に長くなり、永遠の眠りへと至ります。老衰の場合は、がんと違って全身の細胞の活力低下ですので、食物や水分の摂取量が減っても飢餓感や渇きなどはありません。昔は高カロリー輸液を大量に行っていたのですが、現在は点滴で高カロリー輸液をしても栄養分は細胞に吸収されず、水分も過剰になって体がむくむので余計につらいのであまり行われません。特にご高齢者では心不全の方が多いので、自分でとれるだけの経口摂取による看取りが一番安楽な方法と思います。
コメントありがとうございます。私もホームでも診療しているので、ご指摘通り異なる部分と同じ部分があります。その方に合った方法を選択することは大切ですね。
約半年前に父がガンで亡くなりました。緩和ケアの病院に入院した時にこれはもう最期が近いなと判断して、早めに父の意識があるうちに伝えておきたい事をメモに残して貰いました。思い返せば、このような兆候は思い当たる事が沢山ありました。今でも昨日のように思い出します。血圧低下から24時間以上でしたが、最後は静かに息を引き取ったので病院のスタッフの皆様には感謝してます。動画を見る前でしたが、自分たち家族はちゃんと看取る事が出来て良かったです。
ご説明の通りに85歳の母は旅立っていきました。速い呼吸で苦しそうなところ、レスキューの薬で少し楽になり、表情が柔らかくなり・・・呼吸が止まりました。下顎呼吸、二度ほどでした。最期のときについて、わかっているといないとでは、本当に気持ちのいきようが違うと思います。告別式の後、やけに人なつこいアキアカネに遭遇しました。1日目は逃げることなく、3匹で。2日目は玄関のドアのところにとまっていて、私の手に止まってしばらくしてから飛んでいきました。母が来てくれたのならうれしいと思っています。
お母様、そしてアキアカネ。そうでしたか。印象的です。お話、ありがとうございます。
父が亡くなって約1ヶ月。突然のことでまだしっかりと受け止めきれていない自分がいます。動画を見ていて「父もそうだったなぁ」と思うことばかりでした。最期の時もみんなで話しかけてた言葉は届いてたんですね。この動画をみて少し心が落ち着きました。ありがとうございます。
コメントありがとうございます。お父様、そうだったのですね。届いていたと思います。
@@kanwa❤😅😢❤❤
@@kanwa 😊
母が亡くなったとき、そばに付いていたのは弟でした。お世話をしてくれていたのも弟でした、体調が優れずお世話できなかったのは申し訳なかったですが、あまり苦しまなかったと聞いて安心できたのは、最期を看取ってくれた弟と主治医の先生の優しい対応が有ったからでした。心穏やかな最後でした。わたしもそうなりたいとおもっています。
つぶコーンさんの思いは伝わっていたと思います。そばにいるだけが看取りでもないですからね。状況によっては離れたところで想うのも、それもあると存じます。
私は両親共に自宅で介護し本当に病院から退院し自宅での介護を、七年間しました☆何度も意識不明から蘇生しましたが。最初三年間位は自分の事を考える暇もありませんでしたがある時。今までこんなに多くの時間を、親と近くに共に居られる事に喜びと感謝を、持つ様になりました✨最後まで生きようとしていました。両親から学んだ事は最期まで諦めるな!また人は亡くなる本当の最期も力強いということでした。不思議と2人共に誕生日の5日目に亡くなりました☆ずっと手を握り語りかけ最期を、みとりました。自宅介護の時は時間の感覚もなくなりましたが、私を、産んだ時の事等話してくれました。悔いない両親どの時間でした
70歳で悪性リンパ腫で亡くなった父の事を思い出しました。意識がなく、誰の声にも反応しなかったのですが、大好きな孫が声をかけたら、わずかに微笑んで、口が「ありがとう」と動きました。最期の力を振り絞ったのだと思いました。今、介護の現場で働いていますが、お年寄りのお世話をしたり、最期を看取ったりしていると、人生観が変わって来ました。自分もいずれはこうなっていくと思うと、何を大切にすれば良いかわかってきた気がします。
まさに最期の力だったのでしょうね。確かに介護や医療の現場にあると、様々な気付きや学びがたくさんそこにあると私も感じています。誰もが通る道、ですね。
私は、医師ですがAmerica在住です。先生よりかなり年上だと思いますが今回教えていただいた事も多く、本当にまだまだですね。これからも色々教えていただけたら嬉しいです。毎日必ず医学書を開いて勉強していますが、毎日自分の無知さには呆れるばかりです。ありがとうございました。
父が危篤だと聞いて200キロ離れた場所から駆け付けました。会社からだったので移動、到着まで5時間ほどかかりましたが父は自分の到着をずっと待っていたようです。病室に入って声掛けしたら多分見えていないであろう目を精一杯見開いて震える手を伸ばしてきました。手を握り返した後、時間を置かず旅立ちました。あれから12年、近い将来、母を看取る事になりそうです。辛い話ですが知っておいて良かったと思います。有難うございました。でも両親がいなくなった後、気落ちした自分が諸々の事など責任を果たせるか不安になります。
待っていたのですね。
17日に母が亡くなりました。日に日にでしたが10日位前から顕著になってきました。母はお迎え体験ではなく「知らない人が見てる」と言って痛みのない方の腕で追い払う仕草と顔を歪めながら怯える程のせん妄がかわいそうでした。ただ、せん妄は無かったですが父も癌で看取っているので苦しまないだろうなと思っていたので、同じように穏やかな表情になると最後の一呼吸、母は旅立ちました。父は緩和ケアのある病院に転院する日の朝、血圧低下の連絡。苦渋の決断で転院、数時間でしたが先生や看護師さん達のお陰で私達も穏やかに父を見送ることができました。それがあったので母も緩和ケアでお世話になり、本人はもちろんのこと家族にも寄り添ってくださった緩和ケアチームの皆様に感謝です。
お母様、お父様のお話、ありがとうございます。お母様、せん妄があったのですね。最後は穏やかだったとのことで良かったと存じます。
はじめまして。大切なお話を有難うございます。4年前に母を、その2ヶ月後に義父を看取りました。2人ともガンでしたが、母は感染症で救急搬送されて処置室で息を引き取りました。その時、下顎呼吸で「病棟に移すのはやめましょう。」と医師から説明があり、耳元で「ありがとう、ありがとうね。ゆっくり休んで、また会いましょうね。」と語りかけたのを思い出しました。義父は肺ガンで、とにかく呼吸が苦しくて、先生が仰るとおり身の置き所がない状態になり、自分から「モルヒネを使って欲しい。」と訴え、意識のない状態で暫く頑張ってくれましたが、最後は心臓が頑張りすぎて不正脈を起こして息を引き取りました。義父にも最期に声をかけられたので、納得して見送ることができました。親は身をもって子供に「老い」や「死」を見せてくれるのだと思います。介護は大変でしたが、感謝の気持ちで見送ることができ、私は幸せでした。事情があってあと3人、親がおります。先生のお話を胸に介護します。有難うございました。
確かにある意味、それぞれの親が最後に教えてくれることなのかもしれませんね。ご体験のお話、ありがとうございます。
先日、100歳の祖母が亡くなりました。親族みんなから愛された祖母でした。亡くなる前日くらいから、呼吸が早くなりハーハーと苦しそうに見えて辛かったのですが、今回の話を聞いて苦しくてハーハーしていたのではなかったと知り、気持ちが軽くなりました。ありがとうございます。
お祖母様、そうだったのですね。見守る側としては「苦しくないのか?」とご不安にもなりますよね。一般に、意識が低下していれば苦しみからは解放されているとは存じます。お役に立ったのならば幸いです。
先生のお話を聞いていてひさしぶりに亡き父の事を思いだし涙が流れてきました。完全に意識が朦朧とする数時間前水を飲んでくれたこと、声をかけ続けていたとき一時的ではあったけれど少しだけ安定して皆が揃うまで頑張ってくれたこと。意思疎通はできていなくてもとても大切で温かい時間を過ごせたと思っています。
私の父が病院のベッドで唇が乾いていたので、nurseから勝手に飲み物、食べ物をやらないで❗と言われてたけど、喉が渇いてるのではとガーゼにペットボトルの水を少し含ませて唇に当てたら、何も言わない父がガーゼをちゅちゅと吸ってたので、その動きを父が止めるまで少しずつ水分摂取して貰いました🎵私は父には何も出来なかったと15年以上後悔していましたが、先生のお話しを最後まで聴いて、私と父の事を今、思いだして、自分も少しでも父が喜ぶ事をしたんだと少しだけ良かったと自己満足してます🎵ありがとうございます🙏母とのこれからの時間を大切にしていこうと、改めて思いました🎵明日12/30昼から実家の母の所に泊まりに言って、92才の母と母の好きな歌番組を見たり好きなものを一緒に食べようと思ってます🎵私も64才で体調不良ですができるだけの事はこれからも改めてしたいと思いました🎵ありがとうございます🙇優しさは大切ですね😃
@@八ヶ代康弘
このお話に感銘しました。両親を亡くす時に、最後の看取りに立ち会いました。父が先に逝ったのですが、誤嚥性肺炎で、以前から介護を必要とし、最後は病院に於いて、最後の時を迎えました。そして1年後に母が、多臓器不全でICUに運ばれ、約9日後に息を引き取ったのですが、その時に耳元で「ありがとう」と伝えたら、やはり先生が仰った「聴覚」は最後まであったと確信しました。それは言葉を掛けた瞬間に、目から一筋の涙が流れ、安心したように亡くなりました。医療に関しては全くの素人でありますが、先生の仰る「聴覚」は、やはりあるのだなと感じた次第です。
5年前に父を自宅で看取りました。 最後は、父が先生をよんでほしいと、、、緩和ケアの先生がすぐにとんできてくれました。今が1番ラク と言っていたのを思い出します。。。 そして、父は先生に 世界一の先生でした と感謝の言葉を伝えて 旅立ちました。緩和ケアの先生には、感謝しかないです。
お父様、緩和ケアの医師がお関わりになっていたのですね。お話、ありがとうございます。
了解しました。
緩和ケア、あまりにも少ないです。必要だと思います。痛みを取り除き、心の支えになる医療は絶対に必要です。
普及が必須です。尽力したいと存じます。
👍あと2つで100にしといたよ(⌒▽⌒)いんちょーもオロナインちゃんも凄いね!👍👍←で100!おけ!
私の姉は末期がんなんですが、ずいぶんと不幸に捺せられましたが、最期くらい、優しくいてあげたいから、わがままを聴いています。
非常に沢山見とってきた事がよく分かる動画でした。私も、今は大分回復してきましたが、交通事故で1週間程ICUに入り、意識回復後ICUは出ましたが、最初は左半身麻痺で歩けず、複視で字もまともに読めず、3分前の事も思え出せず、見舞いに来てくれた知人や親族と、会話が続きませんでした。そして、意識回復から多分1週間後位に、直近した会話内容を思い出せなかった私が何を話して良いか分からず、見舞いに来ていた親に聞いたのは、今が何時かと、ここは何処の病院かという事でした。今でも事故った状況や、ICUで目を覚ました時の事は思い出せませんが、今話したことが分からず、別の疑問を投げた事だけはショックで強烈に覚えています。その後来てくれた同僚達も、顔は覚えていましたが、名前が思い出せず、せっかく見舞いに来てくれたのに名前を聞くのも失礼なので、その後来てくれた総務の人に、「名前を全て忘れてしまったので、座席表を持ってきて欲しい!」と頼み、必死に覚えました。もしかしたら、これが良かったのかもしれません。私は1日以内で意識を回復したようで、後遺症はそこまで酷くありませんでしたが、次の月に転院した都立病院のリハビリ科では、記憶力は80代だと言われ前の日の晩飯をお思い出せるようになるのに、2ヶ月かかりました。初めは朝食すら分からず、朝食の次は昼食、その次は夕食と思い出せるようになり、前日の夕食をを思い出せるようになったところで強制退院となりますたwwでもまだ美味しかった印象の強い1週間前の食事と、3日前に食べた普通の食事、どちらが最近食べたかも定かでは無い状態で放り出されてしまい、会社には戻れず、労災は出ましたが、復帰しても新入社員扱いだったため、結構病んだ事を覚えています。80代の方が間際で循環器の能力が低下し、酸素の供給能力も低下すれば、恐らくあんなもんじゃなく、私以上の記憶障害(前後間隔の喪失)があるはずで、今がいつかも分からない状態で、全てを否定されたら、恐らくこの世の終わり位の絶望感でしょう。亡くなる1か月前の祖母に会ったところ、私を、私の父と思っていたよで、叔母が否定していましたが、先生のお話を聞いて合点が行きました!!
今日、教えて頂いた7つの兆候は母が最後の入院した時に思い当たる内容があります。入院が決まる前に突然、懺悔の様な内容を語り始めたので当時、学校を休学してその日からずっと看病をしておりました。
学校を休学して、というのはすごいですね。懺悔のような話が出たことで、予知されたということですものね。
大切なお話をお聴きすることが出来ました。まだ私自身そのような状態ではなく、長命な家系故まだ10数年程先のことと考えております。しかし、今は何とか元気に生活しておりますが、いつ来るかはわからないことですので、大変貴重なお話でした。ありがとうございました。心から感謝申し上げます。77才男です。
今、全てのコメントを再読させて頂きました。今回の動画を見せて頂いた事、先生に深く感謝致します。未熟な私もコメントさせて頂き、深く感謝致します。本当に素晴らしい動画と皆様のコメントの数々。感動しました。本当に感動しました。
動画はコメントも含めての作品だということを再認識するものでしたね。
先生ありがとうございます🙇私は母の死に目に間に逢えなかたので、母に申し訳なく想っています。心の中で「ありがとうございました」と念じていました、母はきっと心の声を聞いてくれたと思っています。先生のお話しがたくさんの人の心の持ち方を変えて下さると思います。ありがとうございました。
今、まさに最期を迎える母のそばにつきながら、この動画を見ています。母の変化、全てあてはまっていてよく理解出来ました。緩和ケア病棟は少ないですね。もっと増えたら気持ちが救われる患者さん、ご家族がいると思います。ましてや、コロナ禍で制限がいろいろある、現在。
人生観が変わるようなビデオでした。本当にありがとうございます。何度も見返そうと思います。
いつもためになる動画本当にありがとうございます。在宅介護6年目になります。母は髄膜腫で既に視力は落ち殆ど見えません。おまけに乳がんです。しかし、食欲があります。福祉法人に12年介護保険事務をやってまして、常に、ご老人の亡くなるのを何度も目にしてきました。看護師でもなければ、介護職ではありませんでしたが、その時の経験が今とても役に立ってます。先生がおしゃっられるように、母の弱っていく姿を見て、逆に感動すらします。それと、母が赤ちゃんみたいで可愛いのです。人の一生は生と死で一生を終えます。今は、母が安らかに行くよう心がけてます。主治医、訪問看護、ケアマネなどの連携もとても大切ですね。あと、赤ちゃんも産まれる時は、苦しいとおしゃってましたね。それは烏滸がましいですが本当です。うちの息子が3歳の時に「僕も苦しかった」と、言ってました。それから光みたいなのがぼやっと見えたら苦しくなくなったけど不安で泣いた。と誰も信じてくれませんでしたが、私は今でもその事を覚えてまして、当時はすごく感激して息子を抱きしめました。母は「お母さんと呼びより、○○ちゃん(母の名前)で呼んで欲しい」と言いまして、○○ちゃんと呼んでます(笑)何だか安心するようですね。つい、感動して長々とコメント記し、失礼致しました。🙇♀️
印象的なお話、ありがとうございます。人は何もできない状態で生まれ、お世話のなかで育まれ、最後は同じようになって旅立つものと感じます。考えさせられます。
死についてもなかなか死ねないことだとおもいました。早く知りたかったです。母の最後を送りる時、私は何も解らず、後悔がいまだに残ってます今度の自分の番です早めに準備をする事をまなびました。有り難うございました。
お言葉ありがとうございます。お母様の時、そうだったのですね。お役に立ったのならば幸いです。
とても暖かく貴重なお話をして頂きありがとうございました。
ロス女史はインチキ人生を終えましたね
今回初めて7兆候についてお聞きできました。私の父は56歳で肺癌で亡くなりました。もう35年も前のことでしたが、このような知識があったら少しでも見取り方が違っていたのではないかと思えました。義母、義父も亡くなりましたが、未だにもっと何かしてあげれたのではと思いだし胸が熱くなることがあります。先生の最後のお話もとても胸が熱くなりました。亡くなられたお母さんも勿論だと思いますが、一人残されたお子さんもきっと救われたのだと。先生が今まで大切にされてきたこと、医療現場の皆様の優しさに感謝の気持ちになりました。貴重なお話ありがとうございました。
お話、ありがとうございます。お父様、35年前だったのですね。亡くなる方を支える医療もこの20年ほどでだいぶ進歩しました。これからもだれもが人らしく生きて生を完結できることを願います。
いんちょー、今日も貴重な情報、ありがとうございます。今考えると、癌で亡くなった父の最後の一週間はこんな感じだったと思いました。 すごく辛そうでしたが、この動画で一つ一つの意味がよくわかりました。癌でお母さんを亡くした娘さんの話も共感してしまいました。先生は素晴らしいお仕事をされていますね。 自分もどうやって亡くなりたいのか、考えたくないですが、考えることは重要だなと思いました。今後も応援しています📣
お父様、そうだったのですね。見守るがわは少しの変化にも驚き戸惑うことがあるので、知っておくとそれを和らげてくれることを感じています。
ら
人生最終の時を、先生のいらっしゃる病院で終えられた方は、次のステージへの幸せな旅立ちだったと思います。大切人たちを見送ってきましたが、先生のお話しで腑に落ちました。そして救われました。ありがとうございました。
大切な方々をお見送りなさって来たのですね。人生において避けることができないことですものね。お役に立ったのならば幸いです。お言葉ありがとうございます。
9年前に母を看取りました。最後に下顎呼吸が始まったのでナースコールを押しながら、「生んでくれてありがとう」と耳元で言い続けました、聴覚が最後まで残ると聞いていたので。先生のお話を伺って、私の声は母に届いていたのだと思えて安心しました。ありがとうございます。
先生こんばんは。はじめまして。私は50代前半で多系統委縮症で3年目になります。2年前に診断を受けました。いつか寝たきりになり亡くなると思います。今は歩行困難と声帯麻痺がありますが訪問と通所リハビリで頑張って歩いています。そして定期的に入院してHALのリハビリ入院もしています。いつ歩けなくなるのかは分かりません。それが嫌だから頑張って歩いています。そして私のわがままを聞いてくれる家族とケアマネ、リハビリスタッフ、そして病院の先生や関係者の皆さんに感謝を忘れずにいます。特に家族には「ごめんね」ではなく「ありがとう」をいつも言う様にしています。最近、訪問医も決まりました。信頼できる先生だと思います。私は癌ではないし、治療法もないので自分で気を付けて過ごしながら生きていくしかないと思っています。私は主治医の先生に学会と論文にしてもらえる位、生きて見せると宣言しました。なので自分も頑張ります。たまたま先生の動画があがっていたのでチャンネル登録させていただきました。暑い中毎日、お疲れ様です。私も頑張りますので先生も頑張ってくださいね☺️
メッセージありがとうございます。多系統萎縮症なのですね。力強いご宣言もありがとうございます。私も応援します。ともに頑張って参りましょう!
最近母を亡くしました。その様子は、ズバリ 先生のおっしゃる7つの兆候がありました。先にこちらの動画を観ていたら、もっと出来ることがあったのではないかと、少し後悔します。また、母の最期の兆候が出ていたにも関わらず、帰宅したことをとても後悔しています。病院の面会時間が過ぎていて、明日もまた会えるだろうと思い、帰宅したその後早朝に亡くなり看取ることが出来ませんでした。危篤の連絡をして下さってから、病院の方は酸素マスクをつけ布団を掛けたまま待っていてくださっていたので、もう逝ってしまったと分かっていたけれど、身体はまだ温かいので生きていると思い、最期は「ありがとう」という言葉を言い続けました。こちらの動画にあった『 耳が最期まで聞こえているかもしれない』という言葉にとても救われた気持になりました。看取りの演出という病院側の気遣いがあったものの、病院の先生方が7つの兆候を知っていたとしたら、私たち家族を『 今晩は居てあげて下さい』と引き止めて下さっていても良かったのにとも思いました。でも毎日話せてこれたので、看取れなかったけどお互いの思いは、意識のあるうちに届けあえたと思います。そう思わせてくれる動画でした。ありがとうございます。
父や兄の亡くなる前に聞いておきたかったお話でした。これからは覚えておきます。ありがとうございました。
大変勉強になり為になりました、両親を見送っています、入院していましたが虫の知らせで早くに行き間に合いました、何日も前から意識がなかったですが感謝の言葉を述べ続けていました。
第六感はすごいですね。お声、届いたのではないかと拝察します。
先生のお話し、とても共感出来ます〜、昨年、父を亡くしましたが、I日、コロナ禍なので、たった5分の面会で、危篤から5日後に旅立ちましたが、しっかりと声は聞こえていました、動かない腕を動かそうとしたり、声の方に顔を向けたりしました、亡くなる寸前まで意識がある事が分かり、なるべく話しをしたり、好きな演歌を耳元で歌ったら、みるみる顔がパーアッと明るくなった事を思い出しますー、肉親の死は、凄く凄く辛かったですが、いつかは死ぬので、又、会えるから、それまでは大好きな父の追善供養をしっかりとしていきたいと思います〜、有難う御座いました〜❗️
父が亡くなった時の事を考え直してみました。意識不明の状態が1ヶ月以上続き覚悟はしていました。医療処置としては胃ろう、人工呼吸(切開)、点滴のみでした。父はうめき声を上げていたし涙も流していたので、さぞ苦しいのだろうと意識のない父に語りかけ、父の涙を拭い、側に居ました。父を看とることは出来ませんでした。1ヶ月以上いつも側に居ることは出来ません。亡くなった連絡を受け 駆けつけると父の体は温かく穏やかでした。おとうさん、苦しかったね、よく頑張ったねと遺体にすがりついて号泣しました。先生のお話を聞いて救われました。父は最期まで苦しんだんじゃないんですね。側で語りかける私の声もちゃんと意識の外で聞いてたかもしれません。当時を思いだし今また号泣しています。パパ大好き!ずっと大好き!パパありがとう❤️
お父様のお話、ありがとうございます。想いは届いたと思います。
高齢者施設で介護職をしている者です。施設内で看取りをさせていただく利用者さんが増えてまいりました。この動画をとても興味深く拝見しました。ご本人の状態の捉え方、ご家族や周囲の心構え方等。成る程、と思えました。コメント欄も、貴重な経験…納得できたお見送りや後悔した事等沢山読ませていただきました。私自身、初期のガンの手術と再発予防のための抗がん剤治療を終えて二ヶ月前から仕事に復帰できました。命拾いできたので、恩返しだと思って利用者さんとご家族の併走者になりたいと思います。素晴らしい動画をありがとうございました。
コメントありがとうございます。施設だとお看取りも多いですよね。お疲れ様です。
人はお世話してお世話されて生まれいでて、死んでいくとの先生が看取られた方の言葉、心に響きました。
その言葉は私も印象に残りましたね。その通りだと思いました。
ありがとうございます。今は健康ですが、高齢の母親が居ますので、日々のコミュニケーションが大切だと感じる事が出来ました。大変参考に成りました。
「日々のコミュニケーションが大切」まさに仰る通りです。その延長線上に、将来のよい時間が待っているのだと存じます。
とても自分のためになるお話で勉強になりました。親も若くはないので遠くない未来に看取ることでしょう。その時や自分の時の多少の心の準備になりありがたく思います。
大変勉強になりました、ありがとうございます。介護職をしておりますが、終末期からおなくなりになるまでの経過と必要な支援、ご家族ができる支援について貴重なお話を聞くことができました。ターミナルケアは介護の現場でも多く行われておりますが、詳細が細く記載された書物は少なく、呼吸がとまり亡くなられるまでの経過や苦痛を和らげる緩和ケア、ご家族ができる支援まで詳しくおはなしして下さった先生のお話はとても参考になりました。
ありがとうございます。介護の皆さんにも必要に応じて用立てて頂ければ作った甲斐があります。
最近家内を百十四日の入院で亡くした者ですが、このお話をもう少し早く聞いておけば良かったと今更ながら思い書かせていただきます。全くその通りの経験を致しました。ただ私の場合最後の息を引き取る瞬間に亡くなる本人が、両目を開き何かを話しかけてくれた(もちろん声は聞こえなかったですが)この様なことが起きました。本当にその姿に感動し、家内にありがとうと言って抱いてあげ涙があふれました。先生のお話はきっと皆さんの参考になる事でしょう。ありがとうございました。
素晴らしい解説でした。人は死を恐れすぎです。見たくない、聞きたくない話しですが、聞きたくても、だれにもきけない大切なお話ですよね。ありがとうございます👍
お言葉、ありがとうございます!
有難うございました。長年介護の仕事をしていて、何人もの方々をお見送りして来ました。まさに先生のお話しは思いあたる事ばかりです。此からも心を込めてお見送りしたいと思います
有難うございます。親の事と、自分の事と捉える、良い動画でした。
お疲れ様です。今回の内容は、TVではやら無い、日頃話題にも出無い内容なので、ためになりました。両親は既に他界しているので、自分のその時をイメージして視聴してました。あらためて、身体が動くうちにやっておく、意識が有るうちに伝えておく、大事だな。と思いました。有難う御座いました。
確かになかなかTVではやらないですね。元気なうちから、というのは大切なことだと思いますね。
緩和ケア専門の有料老人ホームで働く事となり、勉強になります。私達の施設では「生ききる」為の支援と「その先」へ送り出す為の支援をしていこうと言う理念の元、病院ではなく自宅のような環境で最期まで過ごして頂けるようにお手伝いさせていただきます。その為にも兆候はとても勉強になります。ありがとうございます。
素晴らしいですね。ぜひ施設名を教えてほしいくらいです。私もケアホスピスには診療に行くこともあります。本当に大切な仕事だと存じます。
母が80歳になった頃元気なのに急に「たまたま死に目に会えんでも後悔せんでいいよ」と言いました。89の今も元気ですが、ずっと今を大事にしようと思わせてくれた言葉です❤
2年8ヶ月前、急性骨髄性白血病で16歳だった娘を失いました。余命宣告から10ヶ月も頑張ってくれました。治療をやめてお家に帰りたいと主治医に伝え、お家に帰り6日目にお空に還っていきました。亡くなる2日前、私と息子と娘でお話しをしていると、『mamaの初恋はいつですか?お兄ちゃんは?』と聞いてその後『しあわせ』と言いニッコリ微笑んでくれて…その言葉があるから私は頑張っていられます。RUclipsとちスペで4日前に娘のことを取り上げてくれました。先生のおっしゃるように呼吸が苦しくなり、吸って〜吐いて〜とあにが呼吸の誘導をしました。本人が『優生が苦しそうにしたら吸って、吐いてって声かけてね』と私達に伝えてくれていました。呼吸の誘導してるシーンも載っているので観てください。ありがとう!よく頑張ったね。と息を引き取ったばかりの娘にも伝えることができ、娘も穏やかな顔でした。
はじめまして。とても参考になりました。最近95才の母が老衰で亡くなりました。2年2カ月お世話になった特養から、そろそろ面会に来てくださいと、兄に連絡があったのが、亡くなる10日前でした。ところが、その同じ日にいわゆる心臓麻痺で生涯独身の弟が亡くなっているのを、電話に出ないことに心配になった兄が、弟の家を訪ねて見つけました。検死の結果では、亡くなったのは2日前でした。家族葬ではあったものの、忙しくて、母に面会できたのは、亡くなる4日前。母が孤独死するんじゃないかと(実際そうでしたが)一番心配していた弟の納棺前の写真や、葬儀場の写真を持って、母に会いに行きましたが、すでに母は、私にしがみついて「ばあちゃん、ばあちゃん」と、自分を可愛がってくれた、自分のお婆さんと勘違いしてるようでした。「ほら、〇〇(兄の名前)も来たよ」というと、力強く兄の手を握っていました。目は開けられないようなので、ひととおり、母との面会が終わったところで、側にいた職員の方に、わざと母に聞こえるように大きな声で、弟の急死について、写真を見てもらいながら、聞いてもらいました。その日はまさに身の置き所がないように、苦しそうに右に左に動いていたので、私も介錯してあげたいぐらいでした。次の面会は亡くなる2日前、やはり苦しそうでしたが、看護師さんが来てくれて、「もう幸せホルモンが出ている状態だから大丈夫ですよ」と言ってくれて、とても救われました。弟は一瞬で亡くなって(倒れた所から、動いた形跡がない)、母は点滴さえしなかったのに、死ぬのに何日も苦しんで、私はどんな死に方になるんだろう?と心配になりました。おじさん、おばさんのうち、3人は癌で、亡くなる前日、当日までトイレに行けたそうですが、癌は癌で、罹った直後は心が折れそうになるだろうし、生きるのも死ぬのも、なかなか大変ですね。
先生のご誠実さが動画に溢れていて、そしてこんな質の高いお話を聞かせていただけて感謝申し上げます。ありがとうございます😊❤
お言葉ありがとうございます。
貴重な経験を教えていただいてありがとうございました。私も周りの方がその様な状態になったら、このことを思い出し、あわてず感謝を伝え背中をさすってあげたいと思いました。
ありがとうございます。背中をさすること、良いと存じます。
有難う御座いました
主人の父親、実母を看取りました二人共最期はおっしゃる様に違いました。今回動画拝見して良かったです。経験しましたが回りが動揺しますお聞きした事を頭に入れ心から接して行けたらと思います。勉強になりました。有難う御座いました。
様々なご最期がありますよね。お話、ありがとうございます。
有り難う御座いました私も癌を患っておりもう治療も止めており 痛み止を使うことにしており貴重なお話聞けて良かったです有り難う御座いました
本当に考えさせられる動画でした。これだけいいコメントの数々見るの、初めてです。どこの家庭でも病や老いや死は身近ですね。
コメントの一つ一つが素晴らしいですね。改めて近しい人との最後や別れについて考えさせられるものですね。
@@kanwa 本当に考えさせられました。いい勉強させていただき感謝いたします。
ありがとうございます。昨年2週間入院したうち、1週間意識なかったし、観させていただいて、大変勉強させていただきました。亡くなった両親がずっと前に夢に出てきた。先生、ありがとうございます‼️
1週間意識がなかったとは大変でしたね。 ご両親、夢に出てきたのですね! ありがとうございます。
最近愛犬が16歳で亡くなりました。人間と同じ兆候もありました。意識朦朧とした状態、顎をあげる態勢は寝ているとは別な姿です。後、何度も愛犬の死に際を看取ってきましたが、一時的に反発した兆候がありました。怖かった思い出か夢を見ているんだと思います。人間も同じかもしれません。動画勉強になりましたありがとうございました。
先生のお話しを拝聴し、合点するところが多々ありました。私は今73才で、28才の時父を、62才で母を67才で姉を見りました。父は、78才の朝に亡くなっていました。苦しんだのか、苦しむこと無く突然の心停止で亡くなったのかはわかりませんが、1週間前に私の従姉妹の結婚式に出席し、亡くなる前日の夜中、家に持ち帰った仕事をして居る私に、結婚を考えるよう小言を言って寝室へ入った後ろ姿が最後でした。会話の内容も、言葉の滑舌も普段と全く変わらず、今思い出しても、翌朝の状態に只々驚くばかりです。95才で亡くなった母の場合は、先生のお話の通り、普段と異なる速い呼吸になったり、視力が無くなったりがありましたが、掛けた声には反応がありました。85才で亡くなった姉は、ベッド脇の簡易トイレに移すため、抱き上げた私の頭を突然さわり、ギュッと抱き締められました。今日に限ってどうしたのかと姉の顔を見た途端、脳溢血で一瞬で亡くなりました。寝たきりの姉は、治療を請けていた、掛かり付け医と話し合い、血液をサラサラにする、薬をだいぶ前から、絶っていたようで、死を予定していたらしいです。一人暮らしの私は、財産も預金もなく、最後の身の処し方を考えると、予め、終わりの時が分かったらと思います。勿論事故の場合はどうにもなりませんが。
詳細にありがとうございます。様々な旅立ちがありますね。なかなか最後の予測は難しいですが、なかにはある程度わかる場合もあるので、もしご病気にかかられた時には担当の医師などとよく相談することが肝要に存じます。
先生、動画配信ありがとうございます。祖母と両親を看取りました。1番目のお話、そのとおりですよねと思って聞きました。今回、少しつらい内容でしたが、最後まで視聴できましたので、今後に役立てたいと思います。ありがとうございました。
三人お看取りになられたのですね。お看取りは決して容易ではないことですが、少しでもこのような情報がご参考になれば幸いです。
貴重なお話しをありがとうございました。私も父を看取りました。サ高住の部屋で酸素マスクのみでしたので、テレビドラマのような、心電図がピーッと鳴ることもなく、どうしよう!と思いました。父は透析をしていたのでシャントがありました。そこをずーっと触っていました。どんどん手に届く感触が小さくなり、最後、強く掴んでも脈が触れなくなりました。かなしかった。30分前まで、私たち(母、姉)の呼び掛けに、うなづきやくびふりで意思の疎通がとれていました。ずっと側にいた母を少し休ませようと、父に母が離席することを伝え、部屋を出た3分後、肩で息をし始め、もう耳もきこえなくなってしまいました。たったの30分で逝ってしまいました。私たちがずっと話しかけていたので、優しかった父は頑張ってくれたのだと思います。人間は必ず死ぬのですね。良いお話しがきけてよかったです。ありがとうございました。
お話ありがとうございます。ご描写から、いかにしっかりと最期の場に居合わせてお父様の変化を感じ取られたのかということが伝わって来ました。
祖父の看取りの時はどうしていいか分からず、ただ手を握ることしかできませんでした。もっと早くに知っていれば…と思うほど素晴らしい内容でした。ありがとうございます😄
手を握ることはとてもとてもしてあげたと言えることですね。安心感を与えるものとなったでしょう。お役に立ったならば幸いです。
高齢の両親と暮らしていると、やはり以前はできていたことができない、探し物が多くなる等々「ああ、私もいつかは通る道だよなぁ」と切ない気持ちになります。当然私も同じスピードで年老いていくわけで😅出来るだけ元気に楽しく過ごしたいものですね。
考えさせられますよね。日々楽しく、本当に大切なことだと思います。
凄く為になりました。自分の最期は想像がつきません。せめて、あとどれくらいの間生きて生かされて人生を謳歌出来るのか解りません。悔いの無い人生だったと思えるような生き方と最期を迎えられるように、生きてる間に頑張って生きていこうと思いました。良いお話が聞けて、ありがとうございました。
いままで怖くてこういう動画を避けていました。でも見て良かった。先生、ありがとうございます。
一見、怖く感じますよね。ご視聴、お言葉、ありがとうございます。
先生のお話は、どんな人間であれ人生で一番大切な事柄です。死の前では生前の富も知識も立場も何の役にも立たないでしょう。人生の一大事で生死の理から逃げれる者など居りませんね。母を見送っておりますが、何よりも自分自身の理なのだと、改めて感じました。有難うございます。
仰る通りです。そして、どう死ぬかを考えることはどう生きるかを考えることでもありますね。
先生、大変貴重な動画ありがとうございます。
先生ありがとうございます。父母は来月で91歳になります。見送る日がいつかくると思うと悲しい気持ちになります。このような情報を知っておいて心の準備しておこうと思いました。
ご両親とも91歳とはすごいですね! 健やかであることを心から願っております。
先生、有り難うごさいました。先程、チャンネル登録しました!二年前に看取った父親の事を思い出しました。ある意味、人の死は神秘的なものであるとも感じました。
尊いお話ありがとうございました。瞬きを忘れるほどに聴き入ってしまいました。日頃の医療情報にもずっと感謝して参りました。しつこいですが、いつもありがとうございます。
お言葉ありがとうございます。こちらこそ感謝です。
かんわいんちょーさんの様なお医者さんや、心の優しい看護士さんで、本当に救われる方々が増えますよう応援しております。
お言葉ありがとうございます。励みになります。
はさすしし
知らなかった!できれば3~4年前に母が闘病生活をしている時にこの動画があってくれたらよかった・・病院では母の状況を全く教えてもらえず、聞いても何の説明も無く「何時どうなるか分かりません」みたいなことしか言われませんでした。当時、母の反応がほぼ大津先生の説明通りでした。その時分かっていれば反応が無くとも声をかけたり、手を握ったりしてあげれたのに・・・先生の話を聞いていてあの日の状況が蘇って泣いてしまいました。
お母様、そうだったのですね。それは大変でしたね。お気持ち拝察する次第です。なかなかこれらの説明が行き届いているとも限らないですものね。いざという時に、この動画を活用して頂ければと願います。
My覚書①意思疎通の困難 1:34 ②身の置き所のなさ 3:45③見当識障害 6:47④呼吸の変化 9:59⑤日常生活動作の低下 12:11⑥声の変化 14:42⑦感覚の変化 17:17
医師として生きようとしている息子に是非見て貰おうと思います。肉体から離れる時の経験を私もそのうちすることになるのでしょう。覚悟して迎えようと思います。有り難うございました。
息子さん、そうなのですね。ご参考になれば幸いです。
70歳になります、63で離婚をし子たちは、それぞれに結婚。コロナ禍、縁を薄くなり離れて暮らしています。寂しく感じてた折、親身になれる異性の方ができました、ここ数年になりますので相方のことを思いやるにつけ、この動画は真にためになったと思っています。先々の二人の教訓にしたいと思います。少し気持ちが楽になった気がします。ありがとうございました。
為になる情報をありがとうございます。自分の父親が亡くなった時も結構当てはまっていました。
はじめまして。先生、この動画を載せていただき、ありがとうございました。7月24日に父が天に召されてゆきました。この動画は、その10日ほど前に偶然見ることができ、最期の時の知識があったお陰で最期の時を見逃さずに看取ってあげることができました。本当にありがとうございました。最期を一人で淋しく逝かせずにすみ、感謝してもしきれません。ありがとうございました。
お言葉ありがとうございます。必要な時に間に合って良かったです。お父様に深く哀悼の意を表します。
知ることができて本当に良かった、落ち着いて見送れると思います。有難うございます。ところで「がん」は最後まで生活動作が保たれやすい、のところがもっと知りたいです。最後は激痛を鎮静してもらえるからでしょうか、それは何回目の耐えられない状態になればでしょうか。一般的に多い例で教えてください。ポジティブに考えられる貴重な情報です。
状況に依りますね。なのでしっかりコミュニケーションを図れ緩和ケアに精通した医療者に関わってもらうことが大切ですね。
偶然に、この動画に辿り着きました。心うたれる、極めて貴重な出会いです。肉親の自分の『その日』に備えて繰り返し視聴したいと思います。
偶然の出会い、良かったです。
初めまして。先生のお話がとてもありがたいです。両親のことについても真剣に考える機会になりましたし、自分自身の生き方についてもっと真剣に考えてみようと思いました。病気以外でもなくなりますしね、、、。いつ来るかわからない死ですが後悔しないように生きたいです。
日々色々なことがあるので、生きることや死ぬことについて考えさせられることも度々ありますよね。動画がお役に立てば幸いです。
非常に分かりやすい大切な情報をありがとうございます。一番ショックでビックリしたのは『鎮静剤投与しても苦痛が消えない』という例があったという点で恐怖を感じました。それとやはり耳の機能が最後まで残り易いとは知ってましたが改めて重要な事が最後のエピソードで理解出来ました、ありがとうございます。
コメントありがとうございます。鎮静剤には使い方次第な点があり、かなりつらさを抑えられるのですが、中には厳しいケースもあります(それでも手段はあります)。やはり鎮静に長けた医療者に最後お願いすると安心だと存じます。
僕もまだ子供ですけど生き物の最期は何回か見てきましたもうとても辛かったですでも生きていかなきゃいけないなので最期に思いを伝えられるだけで全然違うと思いますなので今日この動画を見てよかったと思います。ありがとうございました
コメントありがとうございます。生き物の最期や別れもつらいですよね。ただ確かに、そのような時間をともにすることは、私たちにたくさんの大切なことを教えてくれるものだと思いますね。
@@kanwaとても為に成りました有り難うございます💗🙇
今日のお話を伺いながら、73歳で旅立った父と、5年前に癌を患い、亡くなった母の姿と重なりました。その通りでした。あれだけ穏やかでにこやかだった母が、身の置き所のない状態に陥り、そばに居てどうしたら良いかわからず苦しくなりました。その時、看護師さんが「お嬢さん、お母さんは身の置き場が無い状態なのですよ」と私を抱きかかえるようにして背中をさすって下さいました。その母が亡くなる3日前に家族を集め、一人一人に感謝を述べ、皆が幸せな人生を歩むようにとしっかりと語りました。その後から意識が薄れ、意思の疎通が出来なくなり、自宅で亡くなりました。。私たち家族は、緩和ケアの医療に携わって下さった先生方や看護師さん達にとても助けられました。かんわいんちょー先生のようなお心優しい医師にどれだけの患者さんとそのご家族が救われているかと胸が熱くなる思いで拝見致しました。これからは、自分自身がその時を迎える時の為に、先生のお話を胸に刻みたいと思います。先生、これからもこのような大切なことを、是非発信してください。ありがとうございました。
お母様のお話、ありがとうございます。お母様、すごいですね。なかなかそれができないので、残される側にも何らかの悔いが残ったりするのです。看護師さんもまさに緩和ケアの働きですね。ここをみている医療者にとっても、そしてもちろん私にとっても、励みとなるお話とお言葉でした。感謝します。
主人は癌がわかって自宅での緩和ケアを希望しました。最期、感謝の言葉も恨み言も何もいうことなく逝ってしまいました。病気がわかって時間があまりにもなかったこともあり、ちゃんとお別れをしていない、と私の中でずっと影を落としていました。今日先生の動画を見て、やっと府に落ちた様に思います。私にはあまりにも知識がなかった。あの時必死にもがいて買い求めたのに怖くてまだ読めていなかった先生の本が2冊・・・読んでみようかと思います。
お話、ありがとうございます。お気持ち、拝察します。難しいものですよね。早いと悔いがしばしば残りますし、では長ければ良いかというと必ずしもそうなっていない時もあるように見受けられます。なにがしかの悔いは残ってしまうものなのかもしれませんね。ともあれ考えておくことが裏切らない事柄なので元気なうちに知っておくことは有事に役立ってくれるのではないかとは存じます。
母が90歳で寝付いてしまい95歳で亡くなりました。私の家から40分ほどかかる距離でしたが毎日のように朝からずっと真夜中まで面倒見て通っていました。大正生まれで頑固な母でした。おまけに病院嫌いだった為自分のどこが痛いとか一言も言わない人でした。身体のあちこちの歪みを抱えていたにも関わらず何も語らない人でした。そんな母も最後は救急車を呼び病院へ運んで最後の時を迎えた時2時間あまりして医師の方から三通りの病名を患っていると始めて聞かされました。呼吸器もすぐに付け苦しい筈なのに慌てて来た主人に母が急に身体を起こしベッドの上で正座になり主人の手を握りしめて「今までありがとう」と声を出し言った時はもう驚きました。周りにいた医師と看護師さん達も驚くほどでした。その最後の声を振り絞り私に「ありがとう」と言って静かに旅立ちました。今思う時ベッドの上で正座出来るほどの力が残っていたのがとても不思議です。人間には想像できない予想つかない事が起きる事もあると言う事を母が証明してくれました。
大変印象的なお話、ありがとうございます。「正座して」というところにお母様の精神があらわれていますね。凛としてあろうとする心が顕現しているように感じました。
こんにちは、2年前に父が中皮腫で亡くなりましたがコロナ禍もあって面会もできない中亡くなる4日前迄何とか聞き取れる声で一緒に働いていた人を教えてくれて亡くなった後弁護士への相談もスムーズでした。痛み止めとかで最後は本人はわからなく旅立てたと思います最後は厳しかった父が物凄く優しく見えました。緩和ケア絶対大切です説明ありがとうございました。
中皮腫も厳しい病気ですね。しっかり言葉を遺されたのですね。お話、ありがとうございます。
貴重なお話をありがとうございました。お話から、末期がんで亡くなった母のことを思い起こすと、なんだかんだでかなり幸せな最期だったのだなと、あらためて思いました。
お母様、そうだったのですね! 最期ばかりはなかなか選べないので、概ね穏やかなそれならばそれはとても良いことだと存じます。
勉強になりました。時に最後の40代のお母さんの話は胸にくるものがありました。死はプロセスなんですね。ありがとうございました。
貴重なお話をありがとうございました。10年前に母を亡くし…その時にこのような事を知っていれば!と悔やまれます。生まれたら必ず最期、死があります。避けられない現実なのですよね。
お母様、10年前だったのですね。コメント、ありがとうございます。
素晴らしい内容でした。どんな人でも死を迎える時が来る、わかってますが中々冷静になれないのも人間ですね。
亡くなる前の7兆候を知っていると、見送る側も慌てずに、後に後悔せずに対応することができると思いました。自分の周りの大切な人の死は突然訪れるので、こういう情報はとても参考になります。情報ありがとうございます。
お役に立てば幸いです。確かに不意にということがしばしばありますものね。
大変貴重な情報ありがとうございます。もしもの時があったら、近づいたらこの動画を何度も見返して少しでも良い最後を迎えてもらえるよう。そして自分も良い最後を迎えられるようにしたいと思います。
お看取りに関してたくさんのご経験談のコメントありがとうございます。大変学びとなりますし、ご覧の皆さんにとってもそうだと存じます。ぜひご体験談などありましたら、コメント遠慮なくお寄せ下さい。よろしくお願い申し上げます。
65'?2222,
何度も すみません😢⤵️⤵️是非とも大学での先生方様一度取り上げて…頂きたく思っております。
私達身内は、痛み和らげる点滴注射💉10日前から!打たれて…最後胸肺がん駄目との話し でももう脳迄既に!本人目👀飛び出し痙攣した状態でした。
もう少し最後迄脳の検査も一度して欲しかった!先生方様の話しは、余命1ヶ月との話しだけ!
丸3日間苦しみ家族身内は、あの苦しみ忘れる事が…出来ません。亡くなる
一時間近くでの院長先生のお話し通り
意識無く少し本人楽になり涙😢流し亡くなりました。
癌の死の怖さに…忘れる事無いです😭
初めて知りました。
両親二人又若くして友達も何人かしら最後迄死に…直面致しましたけど…やはり
娘婿の最後の様な事無かったです。
私の妻が65歳で2019年12月すい臓がん初期1Aで発見、3ヶ月抗癌剤経口投与、3ヶ月後手術、2020年11月肝転移、2021年1月抗癌剤が無いと告げられる。以後免疫療法と遺伝子療法しかないと説明、お願いしている最中、大腸がん抗癌剤を進められ投与されるがうまく進まないまま、4月に入り吐気が強く出るようになる。痛みはそれ程無いようであった。亡くなるまで痛いと言わなかった。4月終わり頃より体力も落ちて食事も2口位しか食べれなくなった。自力で歩くのも困難になってきた。5月に入り殆ど歩けなくなり、トイレも夫が何とか連れて行くようになった。5月8日頃より一口しか食べれなくなり‼️それも吐いてしまう様になった。水も吐いてしまう。5月11日~13日ガンセンターにて点滴を受ける。が、栄養剤は打てないと言われ水分補給のみ。13日最期が近いので入院を進められる。が、コロナの関係もあり自宅で看ることにした。直ぐに訪問医や看護をお願いして看て貰う。そのときは既に寝たきりになってしまっていた。オシッコはドレーンを入れて貰う。本人に痛いと聞いても大丈夫だと小さな声で言うだけであったが、訪問医師がパッチ式の痛み止めと舌下錠を出してくれた。通院病院で出してあるのは効かないと言っていた。殆ど口を開かなくなっていたが、14日の昼間、か細い声でお父さん子供たちを呼んでと言うので、家族そろってベットぎわに行くと、一人一人に本当にか細い声でお父さん今まで有難うね。長男の名前を言い同じ様に今まで有難う。長女の名前を言い今まで有難う。と発したのが最後の言葉であった。実は妻のお父さんも87歳で亡くなる1日前に同じ様な行動をしていたことにビックリした。以後痛み止めが効いているせいか安らかな昏睡状態であった。15日にいきなり目を大きく開き上目づかいでまばたきも全くしなかった。直ぐに訪問医師に来て貰い今日明日ですと告げられる。治療は何もない。腹水がたまり苦しそうであったので一時でも楽になれば抜いて欲しいと頼んだが先生は抜かない方が良いと言われた。本人は痛いとか苦しいとか何も発しない。又そのまま昏睡状態になってしまったので、親戚や友達を最後の別れと思い呼んで本人に話し掛けてもらった。寝たきなのに友達が呼び掛けるといきなり起き上がろうとしたので夫が後ろに回っておこしてあげていたら、家族が呼び掛けても反応しなかったのが、友達が呼びかけた途端に目を大きくひらきまばたきもしないで、聞こえているのかいないのか分からないが友達をジーと見つめていた。友達が又くるから元気になるんだよと言い、席を離れた途端、左目から涙が溢れた。聞こえて居たんだと思い家族で又話し掛けたがそのまま又昏睡状態で寝込んでしまった。16日訪問看護に来て貰い身の回りを綺麗にして貰う。がやはり応答する意識はない。午後22時過ぎに突然ウーと言い起き上がった。直ぐに支えて、痛そうに口を開けて息が荒くなってきた。うめき声を出すので訪問医師に連絡したら痛み止めを数枚貼ってと指示されたが、強い痛み止めなのでそのまま息が止まる場合があるので家族同意でとお願いしますと説明された。訪問看護に連絡したら直ぐに伺いますと言われ、舌下錠を舐めさて下さいと指示されたので舌の下に入れようとしたら口の中がからからに乾いていたので訪問看護に再度連絡したら粉して水でといて綿棒で塗ってと指示されたが、痛みは止まらなかった。訪問医師も訪問看護も来ないまま23時10分頃、起き上がって天井を目開きしたまま見つめてウーとうなっていたが、大きく息を一回吸った途端にウッと言いそのまま逝ってしまった。その間は家族で呼び掛けていたが駄目だった。その様な流れでした。
@@眞田賢一-w1h有難うございました🙇凄いお話し聞かせて頂きました🙇
そして最後迄奥様の介護との向き合い死を、見取りされて…本当に気持ちが…わかります。
でも最後奥様ご主人様に…面倒見て貰えて…感謝されたか😊
私も父親が…食道癌
での自宅の3年見取りして 又大事友達肺がんでの死を、自分の母親死又若くして娘婿亡くし。
癌の怖さ治療方針など色々違い有る様に思います。人間誰しも…あの世に…辛いですね。娘婿亡くし。
三回忌法要法事終わり未だに娘が…立ち止まり前向き進めずに居る姿に…私も何も出来ない✨今では、遠くから…見守っております。
ふとした言葉での!
きっかけで絶縁状態です。
娘の気持ちも痛いほどわかります…
いつか!又分かち合う日が、来るかな⁉️
待つ事に致してます。貴重お話し聞かせて頂き感謝です🙇
有難うございました🙇何卒奥様の分までお身体に…気を付けて頑張って下さいませ。
先生💕暑い一日お疲れ様です🌴🌴🍀今回も7つのまとめと見易いテロップで助かりました🤙🍀そうですね〜私の様に高齢者になると、実家の祖父母、両親、主人の両親も見送りました🙏🌸先生のご説明の通りでした。拝見していて、色々な事が思い出されてて涙が止まらず💧今に至りました。以前、先生のご投稿を拝見しておりましたが、このように解りやすいお話、有難かったです。万が一の時に出来る事なら先生の病院に入院して旅立てたら、どんなに幸せだろうとも思っています🍀良い機会ですので、後日に子供達にも拝見させていただきます🌸
先程は4回目のワクチン接種のお話を再度確認致しました💕✨その後の情報などありましたら宜しくお願いします。私の周りの友人達からもチラホラと接種済みの話を聞く今日この頃です。筑西市も38度、39度.酷暑の毎日です😵♨️体力をつけ引き続き感染防止に努めます🍀先生もくれぐれもご自愛下さいませ❤️🙏❤️
父を最期看取りました。苦しそうな呼吸の頃呼ばれました。意識の無い父に泣きながら「ありがとう」と伝えていると、一瞬目が開き意識が戻りました。私だとわかり、壁に飾っている家族写真に目がゆっくりと向き、すると涙が父の瞼にあふれていました。やがてすぐ意識がまた無くなり次第に呼吸がゆっくりになっていきました。父の最後の涙を一生忘れられません。
お父様のお話、ありがとうございます。印象的なお話です。
😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮ささそせ😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮😮
良いお話を、あ・り・が・と・うございます🙇
私も昨年春父を看取りました。私は母や弟にありがとうと伝えるよう声をかけました。弟と母が父の手を握りありがとうを繰り返し、私は身体をさすっていました。亡くなる少し前父からひとすじの涙が流れ、次第に呼吸がゆっくりとなり、静かに息を引き取りました。穏やかな見送りが出来、安堵感を感じました。享年87歳、良い人生だった、と確信します。
ありがとうございます!!。感動しました!
動画を拝見しました。今年、父方母方ともに祖母を見送りました。
父方の祖母は同居していた為、孫の私は近寄りがたい祖母でしたが…家で最後を迎えました。この動画で数ヶ月前からの兆候にも納得しました。大変だった時に拝見出来れば良かったです。
母方の祖母も肺炎で入院し、3ヶ月後に他界しました。
コロナ禍で面会に行きたかったですが、病院指定の曜日や時間に仕事を休めず…
最後は呼吸不全でしたので、頑張っている祖母へ「大丈夫よ。」と肩をさする事が精一杯でした。
先生の動画や祖母たちの体験を忘れず、両親や自分達が今後前向きにとらえられるように考えていきたいです。
医師がこれだけ専門用語や余計な『あの、えーっと、その』等の言葉を使わずに、しっかりと要件を的確、簡潔に伝えるのをER以外で見たことがない。
如何に患者さん親族らと向き合い、ゆっくり丁寧に説明と対処してきたのか、経験の積み重ねの多さが伝わった。
【先生へ】日々のご研鑽と苦悩、本当に素晴らしいと思います。根治治療や処方だけが治療、医療ではなく、最期まで患者を支える。それも治療であり命を預かる医療なのを話を聞かせて下さってありがとうございます。
父は最期を緩和ケア病棟でお世話になったのですが、医師がひとりしかおらずたまたま最期の日の前日が医師のお休みの日にあたり医師不在のため尿が貯まって苦しんでいるのに
なかなか導尿をしてもらえず私から看護師さんに訴えてやっと他の科の先生に導尿をしてもらえました
日本はまだ緩和ケアをして下さる医師が本当に少ないんだということを初めて知りました
病気を治すことも大切ですが
痛みをとり安らかな死を迎えることができるかどうかは患者の不安をどれほど和らげるかとても大切です
緩和ケアを目指す医師が増えることを心から望みます
お父様のお話、ありがとうございます。ますますの普及に尽力したいです。
😊@@kanwa
三年程前に妻を看取りました。緩和ケアの看護師さんから後一週間くらいですと告げられ、職場を休み最期まで側に居る事が出来ました。彼女自身も看護婦であったので全てを受け入れた上で、闘病生活を続けました。痛み止めの薬も自らの意識がわからなくなるのが辛いらしく、痛みに耐えながら義母と私に接してくれました。また、トイレの介助だけは最期まで受けない姿勢に彼女の意地を感じました。最期は座椅子に座らせた彼女を私がトイレの前に運び、そこから自力で便座へ…最期の時は私の腕の中で、『ありがとう』とかすかに唇を動かせて涙が頬をつたったのを鮮明に覚えています。例外的なのかも知れませんが、すごく救われた気がしました。すべての医療スタッフの方々に大変感謝しております。これからもお身体に気を付けて頑張って下さい。
貴重なお話をありがとうございました。私は最愛の母を病室で看取りました。呼吸困難で力尽きるまで苦しみ続けた姿を今も忘れられないです。緩和ケアというお仕事は誰にでもできるものではないと思います。頭の下がる思いです。私もいつか必ず迎える人生の最後まで、与えられ時間を大事に感謝と共に精一杯生きようと思います。ありがとうございました。
お話、ありがとうございます。見守る側からすると苦しむ姿は大変つらいことと拝察します。一方で、その場に居合わせられたということは、最もつらい時間帯にお傍にあったということであり、それは逝く人にとって支えとなっていたのではないかとも思います。苦しい時に、娘さんの存在を感じたということは心強いものであったのではないかと存じます。
@@kanwa
心に染み渡るお言葉、ありがとうございました。母の最後に感謝1つ伝えられず、自分の力不足の後悔やらこの11年ずっと心に残ってたので、先生のお言葉に号泣してしまいました。いただいたメッセージは大切に保管して時より読み返し、母を忍びたいと思います。嬉しくて心が温まりました。感謝します。本当にありがとうございました。
私の両親は病院で最期を迎えました。入院中は毎日見舞いに行っていました。
父は亡くなる前日、母は当日、口が動いても声が出ず、口の動きを見て何とか理解しようとしましたがわかりませんでした。なので笑顔でうんうんとうなずいて、聞こえているフリをしていました。
何とか伝えようと口をゆっくり大きく動かしている親を目の前にしながら、理解できなかったことが残念でなりません。
血圧を表示しているモニターのブザーが鳴って、看護師さんが駆け込んできた後、よくがんばったねと話しかけた声が、親に届いていればせめてもの救いです。
お話、ありがとうございます。届いてくれたのではないでしょうか。
私も父の最後を病室で看取りました。
病院の先生から 「最期が近いですから皆さんお声がけしてあげてください」と言われ、皆で順番にそばに行って声かけてたのですが
私が「お父ちゃん ありがとう・・」といいましたら 父の両目から涙がスーとひとすじ流れました。
苦労多い父の人生の中で、私は10代の頃にとても心配かけたりしてました(最後の時は もう30代で結婚しており、子供も2人おりました)
偶然なのかもしれませんが きっと聞こえていたと思います。
大好きな父でした、今でもこうして思い出すと涙が出そうになります。
お話ありがとうございます。聞こえていたと思いますね。
この春、母を看取りました。100才でした。ギリギリまで意識があり、まるでこちらの看取りを見守ってくれているかのようでした。最期の最期まで母の確かな生き方にお世話になってしまいました。感謝で締め括る事ができた看取り、という尊い時間に言葉にない光を感じます✨
ありがとうございます、とても参考になりました!母は92さいで頑張ってます。
私も以前に緩和ケアの担当をやっていて、現在は老人ホームで働いています。
動画の説明は癌の方の看取りですが、老衰の看取りはだいぶ違います。
老衰の場合は経口摂取、水分摂取の減少が最初に来ます。
次に睡眠時間が徐々に長くなり、永遠の眠りへと至ります。
老衰の場合は、がんと違って全身の細胞の活力低下ですので、食物や水分の摂取量が減っても飢餓感や渇きなどはありません。
昔は高カロリー輸液を大量に行っていたのですが、現在は点滴で高カロリー輸液をしても栄養分は細胞に吸収されず、水分も過剰になって体がむくむので余計につらいのであまり行われません。
特にご高齢者では心不全の方が多いので、自分でとれるだけの経口摂取による看取りが一番安楽な方法と思います。
コメントありがとうございます。私もホームでも診療しているので、ご指摘通り異なる部分と同じ部分があります。その方に合った方法を選択することは大切ですね。
約半年前に父がガンで亡くなりました。緩和ケアの病院に入院した時にこれはもう最期が近いなと判断して、早めに父の意識があるうちに伝えておきたい事をメモに残して貰いました。思い返せば、このような兆候は思い当たる事が沢山ありました。今でも昨日のように思い出します。血圧低下から24時間以上でしたが、最後は静かに息を引き取ったので病院のスタッフの皆様には感謝してます。
動画を見る前でしたが、自分たち家族はちゃんと看取る事が出来て良かったです。
ご説明の通りに85歳の母は旅立っていきました。速い呼吸で苦しそうなところ、レスキューの薬で少し楽になり、表情が柔らかくなり・・・呼吸が止まりました。下顎呼吸、二度ほどでした。最期のときについて、わかっているといないとでは、本当に気持ちのいきようが違うと思います。告別式の後、やけに人なつこいアキアカネに遭遇しました。1日目は逃げることなく、3匹で。2日目は玄関のドアのところにとまっていて、私の手に止まってしばらくしてから飛んでいきました。母が来てくれたのならうれしいと思っています。
お母様、そしてアキアカネ。そうでしたか。印象的です。お話、ありがとうございます。
父が亡くなって約1ヶ月。突然のことでまだしっかりと受け止めきれていない自分がいます。動画を見ていて「父もそうだったなぁ」と思うことばかりでした。最期の時もみんなで話しかけてた言葉は届いてたんですね。この動画をみて少し心が落ち着きました。ありがとうございます。
コメントありがとうございます。お父様、そうだったのですね。届いていたと思います。
@@kanwa❤😅😢❤❤
@@kanwa 😊
母が亡くなったとき、そばに付いていたのは弟でした。お世話をしてくれていたのも弟でした、体調が優れずお世話できなかったのは申し訳なかったですが、あまり苦しまなかったと聞いて安心できたのは、最期を看取ってくれた弟と主治医の先生の優しい対応が有ったからでした。心穏やかな最後でした。わたしもそうなりたいとおもっています。
つぶコーンさんの思いは伝わっていたと思います。そばにいるだけが看取りでもないですからね。状況によっては離れたところで想うのも、それもあると存じます。
私は両親共に自宅で介護し本当に病院から退院し自宅での介護を、七年間しました☆何度も意識不明から蘇生しましたが。最初三年間位は自分の事を考える暇もありませんでしたがある時。今までこんなに多くの時間を、親と近くに共に居られる事に喜びと感謝を、持つ様になりました✨最後まで生きようとしていました。両親から学んだ事は最期まで諦めるな!また人は亡くなる本当の最期も力強いということでした。不思議と2人共に誕生日の5日目に亡くなりました☆ずっと手を握り語りかけ最期を、みとりました。自宅介護の時は時間の感覚もなくなりましたが、私を、産んだ時の事等話してくれました。悔いない両親どの時間でした
70歳で悪性リンパ腫で亡くなった父の事を思い出しました。意識がなく、誰の声にも反応しなかったのですが、大好きな孫が声をかけたら、わずかに微笑んで、口が「ありがとう」と動きました。最期の力を振り絞ったのだと思いました。今、介護の現場で働いていますが、お年寄りのお世話をしたり、最期を看取ったりしていると、人生観が変わって来ました。自分もいずれはこうなっていくと思うと、何を大切にすれば良いかわかってきた気がします。
まさに最期の力だったのでしょうね。確かに介護や医療の現場にあると、様々な気付きや学びがたくさんそこにあると私も感じています。誰もが通る道、ですね。
私は、医師ですがAmerica在住です。先生よりかなり年上だと思いますが今回教えていただいた事も多く、本当にまだまだですね。これからも色々教えていただけたら嬉しいです。毎日必ず医学書を開いて勉強していますが、毎日自分の無知さには呆れるばかりです。ありがとうございました。
父が危篤だと聞いて200キロ離れた場所から駆け付けました。会社からだったので移動、到着まで5時間ほどかかりましたが父は自分の到着をずっと待っていたようです。病室に入って声掛けしたら多分見えていないであろう目を精一杯見開いて震える手を伸ばしてきました。手を握り返した後、時間を置かず旅立ちました。あれから12年、近い将来、母を看取る事になりそうです。辛い話ですが知っておいて良かったと思います。有難うございました。でも両親がいなくなった後、気落ちした自分が諸々の事など責任を果たせるか不安になります。
待っていたのですね。
17日に母が亡くなりました。日に日にでしたが10日位前から顕著になってきました。
母はお迎え体験ではなく「知らない人が見てる」と言って痛みのない方の腕で追い払う仕草と顔を歪めながら怯える程のせん妄がかわいそうでした。ただ、せん妄は無かったですが父も癌で看取っているので苦しまないだろうなと思っていたので、同じように穏やかな表情になると最後の一呼吸、母は旅立ちました。
父は緩和ケアのある病院に転院する日の朝、血圧低下の連絡。苦渋の決断で転院、数時間でしたが先生や看護師さん達のお陰で私達も穏やかに父を見送ることができました。それがあったので母も緩和ケアでお世話になり、本人はもちろんのこと家族にも寄り添ってくださった緩和ケアチームの皆様に感謝です。
お母様、お父様のお話、ありがとうございます。お母様、せん妄があったのですね。最後は穏やかだったとのことで良かったと存じます。
はじめまして。大切なお話を有難うございます。4年前に母を、その2ヶ月後に義父を看取りました。2人ともガンでしたが、母は感染症で救急搬送されて処置室で息を引き取りました。その時、下顎呼吸で「病棟に移すのはやめましょう。」と医師から説明があり、耳元で「ありがとう、ありがとうね。ゆっくり休んで、また会いましょうね。」と語りかけたのを思い出しました。義父は肺ガンで、とにかく呼吸が苦しくて、先生が仰るとおり身の置き所がない状態になり、自分から「モルヒネを使って欲しい。」と訴え、意識のない状態で暫く頑張ってくれましたが、最後は心臓が頑張りすぎて不正脈を起こして息を引き取りました。義父にも最期に声をかけられたので、納得して見送ることができました。親は身をもって子供に「老い」や「死」を見せてくれるのだと思います。介護は大変でしたが、感謝の気持ちで見送ることができ、私は幸せでした。事情があってあと3人、親がおります。先生のお話を胸に介護します。有難うございました。
確かにある意味、それぞれの親が最後に教えてくれることなのかもしれませんね。ご体験のお話、ありがとうございます。
先日、100歳の祖母が亡くなりました。
親族みんなから愛された祖母でした。
亡くなる前日くらいから、呼吸が早くなりハーハーと苦しそうに見えて辛かったのですが、今回の話を聞いて苦しくてハーハーしていたのではなかったと知り、気持ちが軽くなりました。
ありがとうございます。
お祖母様、そうだったのですね。見守る側としては「苦しくないのか?」とご不安にもなりますよね。一般に、意識が低下していれば苦しみからは解放されているとは存じます。お役に立ったのならば幸いです。
先生のお話を聞いていてひさしぶりに亡き父の事を思いだし涙が流れてきました。
完全に意識が朦朧とする数時間前水を飲んでくれたこと、声をかけ続けていたとき一時的ではあったけれど少しだけ安定して皆が揃うまで頑張ってくれたこと。意思疎通はできていなくてもとても大切で温かい時間を過ごせたと思っています。
私の父が病院のベッドで唇が乾いていたので、nurseから勝手に飲み物、食べ物をやらないで❗と言われてたけど、喉が渇いてるのではとガーゼにペットボトルの水を少し含ませて唇に当てたら、何も言わない父がガーゼをちゅちゅと吸ってたので、その動きを父が止めるまで少しずつ水分摂取して貰いました🎵私は父には何も出来なかったと15年以上後悔していましたが、先生のお話しを最後まで聴いて、私と父の事を今、思いだして、自分も少しでも父が喜ぶ事をしたんだと少しだけ良かったと自己満足してます🎵ありがとうございます🙏母とのこれからの時間を大切にしていこうと、改めて思いました🎵明日12/30昼から実家の母の所に泊まりに言って、92才の母と母の好きな歌番組を見たり好きなものを一緒に食べようと思ってます🎵私も64才で体調不良ですができるだけの事はこれからも改めてしたいと思いました🎵ありがとうございます🙇優しさは大切ですね😃
@@八ヶ代康弘
このお話に感銘しました。
両親を亡くす時に、最後の看取りに立ち会いました。
父が先に逝ったのですが、誤嚥性肺炎で、以前から介護を必要とし、最後は病院に於いて、最後の時を迎えました。
そして1年後に母が、多臓器不全でICUに運ばれ、約9日後に息を引き取ったのですが、その時に耳元で「ありがとう」と伝えたら、やはり先生が仰った「聴覚」は最後まであったと確信しました。
それは言葉を掛けた瞬間に、目から一筋の涙が流れ、安心したように亡くなりました。
医療に関しては全くの素人でありますが、先生の仰る「聴覚」は、やはりあるのだなと感じた次第です。
5年前に父を自宅で看取りました。 最後は、父が先生をよんでほしいと、、、緩和ケアの先生がすぐにとんできてくれました。
今が1番ラク と言っていたのを思い出します。。。
そして、父は先生に
世界一の先生でした と感謝の言葉を伝えて 旅立ちました。
緩和ケアの先生には、感謝しかないです。
お父様、緩和ケアの医師がお関わりになっていたのですね。お話、ありがとうございます。
了解しました。
緩和ケア、あまりにも少ないです。必要だと思います。痛みを取り除き、心の支えになる医療は絶対に必要です。
普及が必須です。尽力したいと存じます。
👍あと2つで100にしといたよ(⌒▽⌒)
いんちょーもオロナインちゃんも凄いね!
👍👍←で100!おけ!
私の姉は末期がんなんですが、ずいぶんと不幸に捺せられましたが、最期くらい、優しくいてあげたいから、わがままを聴いています。
非常に沢山見とってきた事がよく分かる動画でした。
私も、今は大分回復してきましたが、交通事故で1週間程ICUに入り、意識回復後ICUは出ましたが、最初は左半身麻痺で歩けず、複視で字もまともに読めず、3分前の事も思え出せず、見舞いに来てくれた知人や親族と、会話が続きませんでした。
そして、意識回復から多分1週間後位に、直近した会話内容を思い出せなかった私が何を話して良いか分からず、見舞いに来ていた親に聞いたのは、今が何時かと、ここは何処の病院かという事でした。
今でも事故った状況や、ICUで目を覚ました時の事は思い出せませんが、今話したことが分からず、別の疑問を投げた事だけはショックで強烈に覚えています。
その後来てくれた同僚達も、顔は覚えていましたが、名前が思い出せず、せっかく見舞いに来てくれたのに名前を聞くのも失礼なので、その後来てくれた総務の人に、「名前を全て忘れてしまったので、座席表を持ってきて欲しい!」と頼み、必死に覚えました。
もしかしたら、これが良かったのかもしれません。
私は1日以内で意識を回復したようで、後遺症はそこまで酷くありませんでしたが、次の月に転院した都立病院のリハビリ科では、記憶力は80代だと言われ前の日の晩飯をお思い出せるようになるのに、2ヶ月かかりました。
初めは朝食すら分からず、朝食の次は昼食、その次は夕食と思い出せるようになり、前日の夕食をを思い出せるようになったところで強制退院となりますたww
でもまだ美味しかった印象の強い1週間前の食事と、3日前に食べた普通の食事、どちらが最近食べたかも定かでは無い状態で放り出されてしまい、会社には戻れず、労災は出ましたが、復帰しても新入社員扱いだったため、結構病んだ事を覚えています。
80代の方が間際で循環器の能力が低下し、酸素の供給能力も低下すれば、恐らくあんなもんじゃなく、私以上の記憶障害(前後間隔の喪失)があるはずで、今がいつかも分からない状態で、全てを否定されたら、恐らくこの世の終わり位の絶望感でしょう。
亡くなる1か月前の祖母に会ったところ、私を、私の父と思っていたよで、叔母が否定していましたが、先生のお話を聞いて合点が行きました!!
今日、教えて頂いた7つの兆候は母が最後の入院した時に思い当たる内容があります。
入院が決まる前に突然、懺悔の様な内容を語り始めたので当時、学校を休学してその日からずっと看病をしておりました。
学校を休学して、というのはすごいですね。懺悔のような話が出たことで、予知されたということですものね。
大切なお話をお聴きすることが出来ました。まだ私自身そのような状態ではなく、長命な家系故まだ10数年程先のことと考えております。しかし、今は何とか元気に生活しておりますが、いつ来るかはわからないことですので、大変貴重なお話でした。ありがとうございました。心から感謝申し上げます。77才男です。
今、全てのコメントを再読させて頂きました。今回の動画を見せて頂いた事、先生に深く感謝致します。未熟な私もコメントさせて頂き、深く感謝致します。本当に素晴らしい動画と皆様のコメントの数々。感動しました。本当に感動しました。
動画はコメントも含めての作品だということを再認識するものでしたね。
先生ありがとうございます🙇私は母の死に目に間に逢えなかたので、母に申し訳なく想っています。心の中で「ありがとうございました」と念じていました、母はきっと心の声を聞いてくれたと思っています。先生のお話しがたくさんの人の心の持ち方を変えて下さると思います。ありがとうございました。
今、まさに最期を迎える母のそばにつきながら、この動画を見ています。
母の変化、全てあてはまっていてよく理解出来ました。緩和ケア病棟は少ないですね。もっと増えたら気持ちが救われる患者さん、ご家族がいると思います。ましてや、コロナ禍で制限がいろいろある、現在。
人生観が変わるようなビデオでした。本当にありがとうございます。何度も見返そうと思います。
いつもためになる動画本当にありがとうございます。
在宅介護6年目になります。母は髄膜腫で既に視力は落ち殆ど見えません。
おまけに乳がんです。しかし、食欲があります。福祉法人に12年介護保険事務を
やってまして、常に、ご老人の亡くなるのを何度も目にしてきました。
看護師でもなければ、介護職ではありませんでしたが、その時の経験が今とても役に立ってます。
先生がおしゃっられるように、母の弱っていく姿を見て、逆に感動すらします。
それと、母が赤ちゃんみたいで可愛いのです。
人の一生は生と死で一生を終えます。今は、母が安らかに行くよう心がけてます。
主治医、訪問看護、ケアマネなどの連携もとても大切ですね。
あと、赤ちゃんも産まれる時は、苦しいとおしゃってましたね。
それは烏滸がましいですが本当です。うちの息子が3歳の時に「僕も苦しかった」と、
言ってました。それから光みたいなのがぼやっと見えたら苦しくなくなったけど不安で泣いた。と
誰も信じてくれませんでしたが、私は今でもその事を覚えてまして、当時はすごく感激して
息子を抱きしめました。母は「お母さんと呼びより、○○ちゃん(母の名前)で呼んで欲しい」と
言いまして、○○ちゃんと呼んでます(笑)何だか安心するようですね。
つい、感動して長々とコメント記し、失礼致しました。🙇♀️
印象的なお話、ありがとうございます。人は何もできない状態で生まれ、お世話のなかで育まれ、最後は同じようになって旅立つものと感じます。考えさせられます。
死についてもなかなか死ねないことだとおもいました。早く知りたかったです。母の最後を送りる時、私は何も解らず、後悔がいまだに残ってます
今度の自分の番です早めに準備をする事をまなびました。有り難うございました。
お言葉ありがとうございます。お母様の時、そうだったのですね。お役に立ったのならば幸いです。
とても暖かく貴重なお話をして頂きありがとうございました。
ロス女史はインチキ人生を終えましたね
今回初めて7兆候についてお聞きできました。私の父は56歳で肺癌で亡くなりました。もう35年も前のことでしたが、このような知識があったら少しでも見取り方が違っていたのではないかと思えました。義母、義父も亡くなりましたが、未だにもっと何かしてあげれたのではと思いだし胸が熱くなることがあります。先生の最後のお話もとても胸が熱くなりました。亡くなられたお母さんも勿論だと思いますが、一人残されたお子さんもきっと救われたのだと。
先生が今まで大切にされてきたこと、医療現場の皆様の優しさに感謝の気持ちになりました。
貴重なお話ありがとうございました。
お話、ありがとうございます。お父様、35年前だったのですね。亡くなる方を支える医療もこの20年ほどでだいぶ進歩しました。これからもだれもが人らしく生きて生を完結できることを願います。
いんちょー、今日も貴重な情報、ありがとうございます。
今考えると、癌で亡くなった父の最後の一週間はこんな感じだったと思いました。 すごく辛そうでしたが、この動画で一つ一つの意味がよくわかりました。
癌でお母さんを亡くした娘さんの話も共感してしまいました。
先生は素晴らしいお仕事をされていますね。 自分もどうやって亡くなりたいのか、考えたくないですが、考えることは重要だなと思いました。今後も応援しています📣
お父様、そうだったのですね。見守るがわは少しの変化にも驚き戸惑うことがあるので、知っておくとそれを和らげてくれることを感じています。
ら
人生最終の時を、先生のいらっしゃる病院で終えられた方は、次のステージへの幸せな旅立ちだったと思います。
大切人たちを見送ってきましたが、先生のお話しで腑に落ちました。
そして救われました。
ありがとうございました。
大切な方々をお見送りなさって来たのですね。人生において避けることができないことですものね。お役に立ったのならば幸いです。お言葉ありがとうございます。
9年前に母を看取りました。最後に下顎呼吸が始まったのでナースコールを押しながら、「生んでくれてありがとう」と耳元で言い続けました、聴覚が最後まで残ると聞いていたので。先生のお話を伺って、私の声は母に届いていたのだと思えて安心しました。ありがとうございます。
先生こんばんは。
はじめまして。
私は50代前半で多系統委縮症で3年目になります。2年前に診断を受けました。
いつか寝たきりになり亡くなると思います。
今は歩行困難と声帯麻痺がありますが訪問と通所リハビリで頑張って歩いています。
そして定期的に入院してHALのリハビリ入院もしています。
いつ歩けなくなるのかは分かりません。それが嫌だから頑張って歩いています。
そして私のわがままを聞いてくれる家族とケアマネ、リハビリスタッフ、そして病院の先生や関係者の皆さんに感謝を忘れずにいます。特に家族には「ごめんね」ではなく「ありがとう」をいつも言う様にしています。
最近、訪問医も決まりました。信頼できる先生だと思います。
私は癌ではないし、治療法もないので自分で気を付けて過ごしながら生きていくしかないと思っています。
私は主治医の先生に学会と論文にしてもらえる位、生きて見せると宣言しました。なので自分も頑張ります。
たまたま先生の動画があがっていたのでチャンネル登録させていただきました。
暑い中毎日、お疲れ様です。私も頑張りますので先生も頑張ってくださいね☺️
メッセージありがとうございます。多系統萎縮症なのですね。力強いご宣言もありがとうございます。私も応援します。ともに頑張って参りましょう!
最近母を亡くしました。その様子は、ズバリ 先生のおっしゃる7つの兆候がありました。
先にこちらの動画を観ていたら、もっと出来ることがあったのではないかと、少し後悔します。また、母の最期の兆候が出ていたにも関わらず、帰宅したことをとても後悔しています。病院の面会時間が過ぎていて、明日もまた会えるだろうと思い、帰宅したその後早朝に亡くなり看取ることが出来ませんでした。
危篤の連絡をして下さってから、病院の方は酸素マスクをつけ布団を掛けたまま待っていてくださっていたので、もう逝ってしまったと分かっていたけれど、身体はまだ温かいので生きていると思い、最期は「ありがとう」という言葉を言い続けました。こちらの動画にあった『 耳が最期まで聞こえているかもしれない』という言葉にとても救われた気持になりました。
看取りの演出という病院側の気遣いがあったものの、病院の先生方が7つの兆候を知っていたとしたら、私たち家族を『 今晩は居てあげて下さい』と引き止めて下さっていても良かったのにとも思いました。でも毎日話せてこれたので、看取れなかったけどお互いの思いは、意識のあるうちに届けあえたと思います。そう思わせてくれる動画でした。ありがとうございます。
父や兄の亡くなる前に聞いておきたかったお話でした。これからは覚えておきます。ありがとうございました。
大変勉強になり為になりました、両親を見送っています、入院していましたが虫の知らせで早くに行き間に合いました、何日も前から意識がなかったですが感謝の言葉を述べ続けていました。
第六感はすごいですね。お声、届いたのではないかと拝察します。
先生のお話し、とても共感出来ます〜、昨年、父を亡くしましたが、I日、コロナ禍なので、たった5分の面会で、危篤から5日後に旅立ちましたが、しっかりと声は聞こえていました、動かない腕を動かそうとしたり、声の方に顔を向けたりしました、亡くなる寸前まで意識がある事が分かり、なるべく話しをしたり、好きな演歌を耳元で歌ったら、みるみる顔がパーアッと明るくなった事を思い出しますー、肉親の死は、凄く凄く辛かったですが、いつかは死ぬので、又、会えるから、それまでは大好きな父の追善供養をしっかりとしていきたいと思います〜、有難う御座いました〜❗️
父が亡くなった時の事を考え直してみました。意識不明の状態が1ヶ月以上続き覚悟はしていました。
医療処置としては胃ろう、人工呼吸(切開)、点滴のみでした。父はうめき声を上げていたし涙も流していたので、さぞ苦しいのだろうと意識のない父に語りかけ、父の涙を拭い、側に居ました。父を看とることは出来ませんでした。1ヶ月以上いつも側に居ることは出来ません。亡くなった連絡を受け 駆けつけると父の体は温かく穏やかでした。おとうさん、苦しかったね、よく頑張ったねと遺体にすがりついて号泣しました。先生のお話を聞いて救われました。父は最期まで苦しんだんじゃないんですね。
側で語りかける私の声もちゃんと意識の外で聞いてたかもしれません。
当時を思いだし今また号泣しています。パパ大好き!ずっと大好き!パパありがとう❤️
お父様のお話、ありがとうございます。想いは届いたと思います。
高齢者施設で介護職をしている者です。
施設内で看取りをさせていただく利用者さんが増えてまいりました。この動画をとても興味深く拝見しました。
ご本人の状態の捉え方、ご家族や周囲の心構え方等。
成る程、と思えました。
コメント欄も、貴重な経験…納得できたお見送りや後悔した事等沢山読ませていただきました。
私自身、初期のガンの手術と再発予防のための抗がん剤治療を終えて二ヶ月前から仕事に復帰できました。
命拾いできたので、恩返しだと思って利用者さんとご家族の併走者になりたいと思います。
素晴らしい動画をありがとうございました。
コメントありがとうございます。施設だとお看取りも多いですよね。お疲れ様です。
人はお世話してお世話されて生まれいでて、死んでいくとの先生が看取られた方の言葉、心に響きました。
その言葉は私も印象に残りましたね。その通りだと思いました。
ありがとうございます。
今は健康ですが、高齢の母親が居ますので、日々のコミュニケーションが大切だと感じる事が出来ました。
大変参考に成りました。
「日々のコミュニケーションが大切」まさに仰る通りです。その延長線上に、将来のよい時間が待っているのだと存じます。
とても自分のためになるお話で勉強になりました。
親も若くはないので遠くない未来に看取ることでしょう。
その時や自分の時の多少の心の準備になりありがたく思います。
大変勉強になりました、ありがとうございます。介護職をしておりますが、終末期からおなくなりになるまでの経過と必要な支援、ご家族ができる支援について貴重なお話を聞くことができました。ターミナルケアは介護の現場でも多く行われておりますが、詳細が細く記載された書物は少なく、呼吸がとまり亡くなられるまでの経過や苦痛を和らげる緩和ケア、ご家族ができる支援まで詳しくおはなしして下さった先生のお話はとても参考になりました。
ありがとうございます。介護の皆さんにも必要に応じて用立てて頂ければ作った甲斐があります。
最近家内を百十四日の入院で亡くした者ですが、このお話をもう少し早く聞いておけば良かったと今更ながら思い書かせていただきます。全くその通りの経験を致しました。ただ私の場合最後の息を引き取る瞬間に亡くなる本人が、両目を開き何かを話しかけてくれた(もちろん声は聞こえなかったですが)この様なことが起きました。本当にその姿に感動し、家内にありがとうと言って抱いてあげ涙があふれました。先生のお話はきっと皆さんの参考になる事でしょう。ありがとうございました。
素晴らしい解説でした。
人は死を恐れすぎです。
見たくない、聞きたくない話しですが、聞きたくても、だれにもきけない大切なお話ですよね。
ありがとうございます👍
お言葉、ありがとうございます!
有難うございました。長年介護の仕事をしていて、何人もの方々をお見送りして来ました。まさに先生のお話しは思いあたる事ばかりです。此からも心を込めてお見送りしたいと思います
有難うございます。親の事と、自分の事と捉える、良い動画でした。
お疲れ様です。
今回の内容は、TVではやら無い、日頃話題にも出無い内容なので、ためになりました。
両親は既に他界しているので、自分のその時をイメージして視聴してました。
あらためて、身体が動くうちにやっておく、意識が有るうちに伝えておく、大事だな。と思いました。
有難う御座いました。
確かになかなかTVではやらないですね。元気なうちから、というのは大切なことだと思いますね。
緩和ケア専門の有料老人ホームで働く事となり、勉強になります。
私達の施設では「生ききる」為の支援と「その先」へ送り出す為の支援をしていこうと言う理念の元、病院ではなく自宅のような環境で最期まで過ごして頂けるようにお手伝いさせていただきます。
その為にも兆候はとても勉強になります。ありがとうございます。
素晴らしいですね。ぜひ施設名を教えてほしいくらいです。私もケアホスピスには診療に行くこともあります。本当に大切な仕事だと存じます。
母が80歳になった頃元気なのに急に「たまたま死に目に会えんでも後悔せんでいいよ」と言いました。89の今も元気ですが、ずっと今を大事にしようと思わせてくれた言葉です❤
2年8ヶ月前、急性骨髄性白血病で16歳だった娘を失いました。
余命宣告から10ヶ月も頑張ってくれました。
治療をやめてお家に帰りたいと主治医に伝え、お家に帰り6日目にお空に還っていきました。
亡くなる2日前、私と息子と娘でお話しをしていると、『mamaの初恋はいつですか?お兄ちゃんは?』と聞いてその後『しあわせ』と言いニッコリ微笑んでくれて…
その言葉があるから私は頑張っていられます。
RUclipsとちスペで4日前に娘のことを取り上げてくれました。
先生のおっしゃるように呼吸が苦しくなり、吸って〜吐いて〜とあにが呼吸の誘導をしました。
本人が『優生が苦しそうにしたら吸って、吐いてって声かけてね』と私達に伝えてくれていました。
呼吸の誘導してるシーンも載っているので観てください。
ありがとう!よく頑張ったね。と息を引き取ったばかりの娘にも伝えることができ、娘も穏やかな顔でした。
はじめまして。とても参考になりました。最近95才の母が老衰で亡くなりました。2年2カ月お世話になった特養から、そろそろ面会に来てくださいと、兄に連絡があったのが、亡くなる10日前でした。ところが、その同じ日にいわゆる心臓麻痺で生涯独身の弟が亡くなっているのを、電話に出ないことに心配になった兄が、弟の家を訪ねて見つけました。検死の結果では、亡くなったのは2日前でした。家族葬ではあったものの、忙しくて、母に面会できたのは、亡くなる4日前。母が孤独死するんじゃないかと(実際そうでしたが)一番心配していた弟の納棺前の写真や、葬儀場の写真を持って、母に会いに行きましたが、すでに母は、私にしがみついて「ばあちゃん、ばあちゃん」と、自分を可愛がってくれた、自分のお婆さんと勘違いしてるようでした。「ほら、〇〇(兄の名前)も来たよ」というと、力強く兄の手を握っていました。
目は開けられないようなので、ひととおり、母との面会が終わったところで、側にいた職員の方に、わざと母に聞こえるように大きな声で、弟の急死について、写真を見てもらいながら、聞いてもらいました。
その日はまさに身の置き所がないように、苦しそうに右に左に動いていたので、私も介錯してあげたいぐらいでした。
次の面会は亡くなる2日前、やはり苦しそうでしたが、看護師さんが来てくれて、「もう幸せホルモンが出ている状態だから大丈夫ですよ」と言ってくれて、とても救われました。
弟は一瞬で亡くなって(倒れた所から、動いた形跡がない)、母は点滴さえしなかったのに、死ぬのに何日も苦しんで、私はどんな死に方になるんだろう?と心配になりました。おじさん、おばさんのうち、3人は癌で、亡くなる前日、当日までトイレに行けたそうですが、癌は癌で、罹った直後は心が折れそうになるだろうし、生きるのも死ぬのも、なかなか大変ですね。
先生のご誠実さが動画に溢れていて、そしてこんな質の高いお話を聞かせていただけて感謝申し上げます。ありがとうございます😊❤
お言葉ありがとうございます。
貴重な経験を教えていただいてありがとうございました。私も周りの方がその様な状態になったら、このことを思い出し、あわてず感謝を伝え背中をさすってあげたいと思いました。
ありがとうございます。背中をさすること、良いと存じます。
有難う御座いました
主人の父親、実母を看取りました
二人共最期はおっしゃる様に違いました。
今回動画拝見して良かったです。
経験しましたが回りが動揺しますお聞きした事を頭に入れ心から接して行けたらと思います。
勉強になりました。有難う御座いました。
様々なご最期がありますよね。お話、ありがとうございます。
有り難う御座いました私も癌を患っておりもう治療も止めており 痛み止を使うことにしており貴重なお話聞けて良かったです有り難う御座いました
本当に考えさせられる動画でした。これだけいいコメントの数々見るの、初めてです。どこの家庭でも病や老いや死は身近ですね。
コメントの一つ一つが素晴らしいですね。改めて近しい人との最後や別れについて考えさせられるものですね。
@@kanwa 本当に考えさせられました。いい勉強させていただき感謝いたします。
ありがとうございます。昨年2週間入院したうち、1週間意識なかったし、観させていただいて、大変勉強させていただきました。亡くなった両親がずっと前に夢に出てきた。先生、ありがとうございます‼️
1週間意識がなかったとは大変でしたね。 ご両親、夢に出てきたのですね! ありがとうございます。
最近愛犬が16歳で亡くなりました。
人間と同じ兆候もありました。
意識朦朧とした状態、顎をあげる態勢は寝ているとは別な姿です。
後、何度も愛犬の死に際を看取ってきましたが、一時的に反発した兆候がありました。怖かった思い出か夢を見ているんだと思います。
人間も同じかもしれません。
動画勉強になりましたありがとうございました。
先生のお話しを拝聴し、合点するところが多々ありました。
私は今73才で、28才の時父を、62才で母を67才で姉を見りました。父は、78才の朝に亡くなっていました。苦しんだのか、苦しむこと無く突然の心停止で亡くなったのかはわかりませんが、1週間前に私の従姉妹の結婚式に出席し、亡くなる前日の夜中、家に持ち帰った仕事をして居る私に、結婚を考えるよう小言を言って寝室へ入った後ろ姿が最後でした。会話の内容も、言葉の滑舌も普段と全く変わらず、今思い出しても、翌朝の状態に只々驚くばかりです。95才で亡くなった母の場合は、先生のお話の通り、普段と異なる速い呼吸になったり、視力が無くなったりがありましたが、掛けた声には反応がありました。85才で亡くなった姉は、ベッド脇の簡易トイレに移すため、抱き上げた私の頭を突然さわり、ギュッと抱き締められました。今日に限ってどうしたのかと姉の顔を見た途端、脳溢血で一瞬で亡くなりました。寝たきりの姉は、治療を請けていた、掛かり付け医と話し合い、血液をサラサラにする、薬をだいぶ前から、絶っていたようで、死を予定していたらしいです。
一人暮らしの私は、財産も預金もなく、最後の身の処し方を考えると、予め、終わりの時が分かったらと思います。勿論事故の場合はどうにもなりませんが。
詳細にありがとうございます。様々な旅立ちがありますね。なかなか最後の予測は難しいですが、なかにはある程度わかる場合もあるので、もしご病気にかかられた時には担当の医師などとよく相談することが肝要に存じます。
先生、動画配信ありがとうございます。
祖母と両親
を看取りました。
1番目のお話、そのとおりですよねと思って聞きました。
今回、少しつらい内容でしたが、最後まで視聴できましたので、今後に役立てたいと思います。
ありがとうございました。
三人お看取りになられたのですね。お看取りは決して容易ではないことですが、少しでもこのような情報がご参考になれば幸いです。
貴重なお話しをありがとうございました。
私も父を看取りました。
サ高住の部屋で酸素マスクのみでしたので、テレビドラマのような、心電図がピーッと鳴ることもなく、どうしよう!と思いました。
父は透析をしていたのでシャントがありました。
そこをずーっと触っていました。
どんどん手に届く感触が小さくなり、最後、強く掴んでも脈が触れなくなりました。
かなしかった。
30分前まで、私たち(母、姉)の呼び掛けに、うなづきやくびふりで意思の疎通がとれていました。
ずっと側にいた母を少し休ませようと、父に母が離席することを伝え、部屋を出た3分後、肩で息をし始め、もう耳もきこえなくなってしまいました。
たったの30分で逝ってしまいました。
私たちがずっと話しかけていたので、優しかった父は頑張ってくれたのだと思います。
人間は必ず死ぬのですね。
良いお話しがきけてよかったです。
ありがとうございました。
お話ありがとうございます。ご描写から、いかにしっかりと最期の場に居合わせてお父様の変化を感じ取られたのかということが伝わって来ました。
祖父の看取りの時はどうしていいか分からず、ただ手を握ることしかできませんでした。もっと早くに知っていれば…と思うほど素晴らしい内容でした。ありがとうございます😄
手を握ることはとてもとてもしてあげたと言えることですね。安心感を与えるものとなったでしょう。お役に立ったならば幸いです。
高齢の両親と暮らしていると、やはり以前はできていたことができない、探し物が多くなる等々「ああ、私もいつかは通る道だよなぁ」と切ない気持ちになります。当然私も同じスピードで年老いていくわけで😅出来るだけ元気に楽しく過ごしたいものですね。
考えさせられますよね。日々楽しく、本当に大切なことだと思います。
凄く為になりました。
自分の最期は想像がつきません。
せめて、あとどれくらいの間生きて生かされて人生を謳歌出来るのか解りません。
悔いの無い人生だったと思えるような生き方と最期を迎えられるように、生きてる間に頑張って生きていこうと思いました。
良いお話が聞けて、ありがとうございました。
いままで怖くてこういう動画を避けていました。
でも見て良かった。
先生、ありがとうございます。
一見、怖く感じますよね。ご視聴、お言葉、ありがとうございます。
先生のお話は、どんな人間であれ人生で一番大切な事柄です。死の前では生前の富も知識も立場も何の役にも立たないでしょう。人生の一大事で生死の理から逃げれる者など居りませんね。母を見送っておりますが、何よりも自分自身の理なのだと、改めて感じました。有難うございます。
仰る通りです。そして、どう死ぬかを考えることはどう生きるかを考えることでもありますね。
先生、大変貴重な動画ありがとうございます。
先生ありがとうございます。父母は来月で91歳になります。見送る日がいつかくると思うと悲しい気持ちになります。このような情報を知っておいて心の準備しておこうと思いました。
ご両親とも91歳とはすごいですね! 健やかであることを心から願っております。
先生、有り難うごさいました。先程、チャンネル登録しました!
二年前に看取った父親の事を思い出しました。
ある意味、人の死は神秘的なものであるとも感じました。
尊いお話ありがとうございました。瞬きを忘れるほどに聴き入ってしまいました。
日頃の医療情報にもずっと感謝して参りました。しつこいですが、いつもありがとうございます。
お言葉ありがとうございます。こちらこそ感謝です。
かんわいんちょーさんの様なお医者さんや、心の優しい看護士さんで、本当に救われる方々が増えますよう応援しております。
お言葉ありがとうございます。励みになります。
はさすしし
知らなかった!
できれば3~4年前に母が闘病生活をしている時にこの動画があってくれたらよかった・・
病院では母の状況を全く教えてもらえず、聞いても何の説明も無く「何時どうなるか分かりません」みたいなことしか言われませんでした。
当時、母の反応がほぼ大津先生の説明通りでした。その時分かっていれば反応が無くとも声をかけたり、手を握ったりしてあげれたのに・・・
先生の話を聞いていてあの日の状況が蘇って泣いてしまいました。
お母様、そうだったのですね。それは大変でしたね。お気持ち拝察する次第です。なかなかこれらの説明が行き届いているとも限らないですものね。いざという時に、この動画を活用して頂ければと願います。
My覚書
①意思疎通の困難 1:34
②身の置き所のなさ 3:45
③見当識障害 6:47
④呼吸の変化 9:59
⑤日常生活動作の低下 12:11
⑥声の変化 14:42
⑦感覚の変化 17:17
医師として生きようとしている息子に是非見て貰おうと思います。肉体から離れる時の経験を私もそのうちすることになるのでしょう。覚悟して迎えようと思います。有り難うございました。
息子さん、そうなのですね。ご参考になれば幸いです。
70歳になります、63で離婚をし子たちは、それぞれに結婚。コロナ禍、縁を薄くなり離れて暮らしています。寂しく感じてた折、親身になれる異性の方ができました、ここ数年になりますので相方のことを思いやるにつけ、この動画は真にためになったと思っています。先々の二人の教訓にしたいと思います。少し気持ちが楽になった気がします。ありがとうございました。
為になる情報をありがとうございます。自分の父親が亡くなった時も結構当てはまっていました。
はじめまして。先生、この動画を載せていただき、ありがとうございました。
7月24日に父が天に召されてゆきました。
この動画は、その10日ほど前に偶然見ることができ、最期の時の知識があったお陰で最期の時を見逃さずに看取ってあげることができました。
本当にありがとうございました。
最期を一人で淋しく逝かせずにすみ、感謝してもしきれません。
ありがとうございました。
お言葉ありがとうございます。必要な時に間に合って良かったです。お父様に深く哀悼の意を表します。
知ることができて本当に良かった、落ち着いて見送れると思います。有難うございます。ところで「がん」は最後まで生活動作が保たれやすい、のところがもっと知りたいです。最後は激痛を鎮静してもらえるからでしょうか、それは何回目の耐えられない状態になればでしょうか。一般的に多い例で教えてください。ポジティブに考えられる貴重な情報です。
状況に依りますね。なのでしっかりコミュニケーションを図れ緩和ケアに精通した医療者に関わってもらうことが大切ですね。
偶然に、この動画に辿り着きました。
心うたれる、極めて貴重な出会いです。
肉親の自分の『その日』に備えて
繰り返し視聴したいと思います。
偶然の出会い、良かったです。
初めまして。先生のお話がとてもありがたいです。両親のことについても真剣に考える機会になりましたし、自分自身の生き方についてもっと真剣に考えてみようと思いました。
病気以外でもなくなりますしね、、、。
いつ来るかわからない死ですが後悔しないように生きたいです。
日々色々なことがあるので、生きることや死ぬことについて考えさせられることも度々ありますよね。動画がお役に立てば幸いです。
非常に分かりやすい大切な情報を
ありがとうございます。
一番ショックでビックリしたのは
『鎮静剤投与しても苦痛が消えない』
という例があったという点で恐怖を
感じました。
それとやはり耳の機能が最後まで
残り易いとは知ってましたが改めて
重要な事が最後のエピソードで理解
出来ました、ありがとうございます。
コメントありがとうございます。鎮静剤には使い方次第な点があり、かなりつらさを抑えられるのですが、中には厳しいケースもあります(それでも手段はあります)。やはり鎮静に長けた医療者に最後お願いすると安心だと存じます。
僕もまだ子供ですけど
生き物の最期は何回か見てきました
もうとても辛かったです
でも生きていかなきゃいけない
なので最期に思いを伝えられるだけで
全然違うと思います
なので今日この動画を見てよかったと思います。ありがとうございました
コメントありがとうございます。生き物の最期や別れもつらいですよね。ただ確かに、そのような時間をともにすることは、私たちにたくさんの大切なことを教えてくれるものだと思いますね。
@@kanwaとても為に成りました有り難うございます💗🙇
今日のお話を伺いながら、73歳で旅立った父と、5年前に癌を患い、亡くなった母の姿と重なりました。その通りでした。あれだけ穏やかでにこやかだった母が、身の置き所のない状態に陥り、そばに居てどうしたら良いかわからず苦しくなりました。その時、看護師さんが「お嬢さん、お母さんは身の置き場が無い状態なのですよ」と私を抱きかかえるようにして背中をさすって下さいました。その母が亡くなる3日前に家族を集め、一人一人に感謝を述べ、皆が幸せな人生を歩むようにとしっかりと語りました。その後から意識が薄れ、意思の疎通が出来なくなり、自宅で亡くなりました。。私たち家族は、緩和ケアの医療に携わって下さった先生方や看護師さん達にとても助けられました。
かんわいんちょー先生のようなお心優しい医師にどれだけの患者さんとそのご家族が救われているかと胸が熱くなる思いで拝見致しました。
これからは、自分自身がその時を迎える時の為に、先生のお話を胸に刻みたいと思います。先生、これからもこのような大切なことを、是非発信してください。ありがとうございました。
お母様のお話、ありがとうございます。お母様、すごいですね。なかなかそれができないので、残される側にも何らかの悔いが残ったりするのです。看護師さんもまさに緩和ケアの働きですね。ここをみている医療者にとっても、そしてもちろん私にとっても、励みとなるお話とお言葉でした。感謝します。
主人は癌がわかって自宅での緩和ケアを希望しました。
最期、感謝の言葉も恨み言も何もいうことなく逝ってしまいました。病気がわかって時間があまりにもなかったこともあり、ちゃんとお別れをしていない、と私の中でずっと影を落としていました。
今日先生の動画を見て、やっと府に落ちた様に思います。
私にはあまりにも知識がなかった。あの時必死にもがいて買い求めたのに怖くてまだ読めていなかった先生の本が2冊・・・読んでみようかと思います。
お話、ありがとうございます。お気持ち、拝察します。難しいものですよね。早いと悔いがしばしば残りますし、では長ければ良いかというと必ずしもそうなっていない時もあるように見受けられます。なにがしかの悔いは残ってしまうものなのかもしれませんね。ともあれ考えておくことが裏切らない事柄なので元気なうちに知っておくことは有事に役立ってくれるのではないかとは存じます。
母が90歳で寝付いてしまい95歳で亡くなりました。私の家から40分ほどかかる距離でしたが毎日のように朝からずっと真夜中まで面倒見て通っていました。大正生まれで頑固な母でした。おまけに病院嫌いだった為自分のどこが痛いとか一言も言わない人でした。身体のあちこちの歪みを抱えていたにも関わらず何も語らない人でした。そんな母も最後は救急車を呼び病院へ運んで最後の時を迎えた時2時間あまりして医師の方から三通りの病名を患っていると始めて聞かされました。呼吸器もすぐに付け苦しい筈なのに慌てて来た主人に母が急に身体を起こしベッドの上で正座になり主人の手を握りしめて「今までありがとう」と声を出し言った時はもう驚きました。周りにいた医師と看護師さん達も驚くほどでした。その最後の声を振り絞り私に「ありがとう」と言って静かに旅立ちました。今思う時ベッドの上で正座出来るほどの力が残っていたのがとても不思議です。人間には想像できない予想つかない事が起きる事もあると言う事を母が証明してくれました。
大変印象的なお話、ありがとうございます。「正座して」というところにお母様の精神があらわれていますね。凛としてあろうとする心が顕現しているように感じました。
こんにちは、2年前に父が中皮腫で亡くなりましたがコロナ禍もあって面会もできない中亡くなる4日前迄何とか聞き取れる声で一緒に働いていた人を教えてくれて亡くなった後弁護士への相談もスムーズでした。痛み止めとかで最後は本人はわからなく旅立てたと思います最後は厳しかった父が物凄く優しく見えました。緩和ケア絶対大切です説明ありがとうございました。
中皮腫も厳しい病気ですね。しっかり言葉を遺されたのですね。お話、ありがとうございます。
貴重なお話をありがとうございました。
お話から、末期がんで亡くなった母のことを思い起こすと、なんだかんだでかなり幸せな最期だったのだなと、あらためて思いました。
お母様、そうだったのですね! 最期ばかりはなかなか選べないので、概ね穏やかなそれならばそれはとても良いことだと存じます。
勉強になりました。
時に最後の40代のお母さんの話は胸にくるものがありました。
死はプロセスなんですね。
ありがとうございました。
貴重なお話をありがとうございました。10年前に母を亡くし…その時にこのような事を知っていれば!と悔やまれます。生まれたら必ず最期、死があります。避けられない現実なのですよね。
お母様、10年前だったのですね。コメント、ありがとうございます。
素晴らしい内容でした。どんな人でも死を迎える時が来る、わかってますが中々冷静になれないのも人間ですね。
亡くなる前の7兆候を知っていると、見送る側も慌てずに、後に後悔せずに対応することができると思いました。自分の周りの大切な人の死は突然訪れるので、こういう情報はとても参考になります。情報ありがとうございます。
お役に立てば幸いです。確かに不意にということがしばしばありますものね。
大変貴重な情報ありがとうございます。もしもの時があったら、近づいたらこの動画を何度も見返して少しでも良い最後を迎えてもらえるよう。そして自分も良い最後を迎えられるようにしたいと思います。